失われた時を求めて (29)

第4巻はいかにも分厚い冊子である。いよいよ待ちに待ったバルベックへの汽車の旅が始まるのだが、乗り込むまでの口上が長い。乗ってからは移り変わる景色を楽しんだり、牛乳売りの娘を見て美と幸福な生活についての勝手な妄想を繰り広げる。だがその論調は手前味噌と言うべきであろう。

グランドホテルに到着した直後のプルーストが見た町の情景描写を示す。以下引用文。(吉川一義訳)

《祖母を待つあいだ、私は外の通りを行きつ戻りつしたが、人の往来でごったがえし、室内の人いきれとなんら変わらない。理髪店と菓子屋のティールームとはまだ開いていて、後者で常連客がアイスクリームを食べている前に、デュゲ=トルアンの銅像が立っている。この雑踏が私に与えてくれた喜びは、外科医の待合室で「グラビア誌」をめくっていた病人がこの雑踏の写真を見つけて感じるほどの喜びにすぎない。私は、自分とは違う人がこれほど大勢いるのをいぶかしく思った。なにしろこの街中の散歩を気晴らしとして私に勧めたのは支配人だし、拷問の場となるはずの新たな住まいを「楽園の住処」とする人もいるのだから。ホテルのパンフレットはそれを謳い文句とし、そこには誇張があるにしても、それでも顧客全体に呼びかけてその嗜好をくすぐっていた。たしかにパンフレットは、顧客をバルベック・グランドホテルに呼び寄せるため、「絶品の料理」や「お伽の国のようなカジノの庭園の眺め」を宣伝するだけではなく、こうも書いていた、「モードの女王殿下のご託宣、これに背を向けるような野蛮な振る舞いは、教養ある人ならだれしも避けたい愚である。」》

失望と皮肉でできているような文章だが、ちょっとカフカ風でもある。