失われた時を求めて (30)

長期逗留となるこのホテルは実在するホテルで、ルグランホテルカブールである。部屋はいわゆるオーシャンビューである事から気に入ったようだ。他人の目に神経質なのは相変わらずでこの様に記している。以下引用文。(吉川一義訳)

《どの階でも、連絡用の小さな階段の両側に、暗く長い廊下が扇形にのびていて、そこを長枕をかかえた小間使いが一人通ってゆく。私は、暗がりにぼんやり浮かぶその顔に もっとも情熱に駆られた夢にくり返し出てきた風貌を当てはめてみたが、こちらを見つめる女のまなざしに読みとれたのは無価値な私への嫌悪感にすぎない。》

ホテルのダイニングルームには地方の名士や上流の人たちががやって来て食事をとるが中でもプルーストの目を引いたのはブルターニュの貴族ステルマリア卿とその娘ステルマリア嬢である。彼女が入って来た瞬間プルーストの脳裏にはこの様な考えが浮かんでいる。以下引用文。(吉川一義訳)

《美しい顔は青みを帯びるほどに白く、すらりと高い姿やその物腰には独特の風情があり、私は当たり前のように娘が受け継いだ遺伝や、貴族として受けた教育を思いうかべた。(略)さらに血筋が魅力をいっそう欲望をそそるものにしたのは、とうてい手の届くものでないと知らされたからで、値段が高いほうが自分の気に入ったものの価値も高まるのと同様である。おまけに遺伝を受け継ぐ若木から選りすぐりのさまざまな樹液を送りこまれたその顔色にはエキゾチックな果実や銘柄ワインのような風味が漂っていた。》

客のうちで階層最高位のヴィルパリジ公爵夫人が威光を放ちながら現れた時、同席していた祖母(夫人の学友だった)が彼女に挨拶しなかったことにプルーストは失望している。何としても周りから一目置かれたいのだ。

ダイニングルームにはルグランダン氏の妹の嫁ぎ先であるカンブルメール家の当主も姿を現している。プルーストは何とか近づきになりたいと思っている。