著者の岩村透は東京美術学校教授で美術評論家という名士である割にはほとんど知られていない人物である。高階秀爾の方が馴染みがある人が多いのではないだろうか。岩村透はその業績にもかかわらず全集が出版されなかったという経緯があり、代表作数編がこの東洋文庫に収められた。
『巴里の美術学生』(1901)は著者がアカデミー・ジュリアンで絵の修行をした経験を元に巴里の美術学生の驚くべき生態を活写したもので、読んでみて成る程凄いものだと感心した。一部を紹介する。以下引用文。
《さて美術の生活とは一体何であるかを問えば、返答は別に難しくない。すなわち美術家が他の人間社会と別に団体を結んで、他人の事には一切無頓着に、朝から晩まで美術の事ばかり見、聞き、話して一生涯を暮らせるというかような社会に生活して居るその有様をいうのである。ところでこれはロンドンでも ニューヨークでもどこでも出来そうなものであるが、実際のところ出来ぬ。巴里に五、六年も勉強して居った米国の美術家が本国へ帰って来ると、「米国は駄目 だ、美術の空気がない、金銭の空気ばかりで美術の空気がない、アー巴里アー 仏蘭西フランス」という声を出すのが千人がほとんど千人であるというのは、 米国には美術家の団体生活がないという事を証拠立って居るのであって、つまり巴里のみが一種技芸家にとって心持ちの善い空気すなわち美術生活を持って居る という事になる。》
『芸苑雑稿』(1906)は美術新報に掲載された記事からなるもので、アッシシの七日、バルビゾン、櫟亭閑話、ジョン・ラスキン、他六話が収録されている。前二編はプルーストと同時代の紀行文として貴重なものであるが長くなるので省略する。