失われた時を求めて (65)

プルーストの文章の特徴を検討する。以下引用文。(吉川一義訳)

《文学の通人であれば、演劇界の大御所の新作を観るために劇場に出かけるときは、つまらぬ一夜になるはずはないという確信を顔にあらわし、座席案内係に持ち物を預けながら、すでに口元には洞察を秘めた微笑みの用意を、思慮深いまなざしには皮肉っぽい賞賛の用意を整えている。それと同じで公爵夫人も、到着したとたん、夜会のあいだじゅう灯しつづける明かりをつける。そしてティエポロふうの華麗な赤の夜会用コートを渡して、首枷さながらに首を覆うルビーの首飾りをあらわにし、社交界の貴婦人らしくおのがドレスに、仕立屋のような素早くて念入りで万全な最後の一瞥を投げかけると、オリヤーヌは身につけた他の宝石に劣らず自分の目もきらめいていることを確かめるのだ。》

比喩を使いながら遠回しな皮肉を込める。比喩の材料は美術、植物学、科学の分野まで及ぶ。上手いのか下手なのか、だんだん後者のような気がしてきた。

次にパリ上流人の愛想の良さをどう捉えるかが田舎者かどうかを分ける、と考察している。以下引用文。(吉川一義訳)

《しかし夫妻がおよそ考えられる限り最もやさしい口調でそう告げるのは自分たちが愛され賞賛されるためであって、それを真に受けてもらうためではない。この愛想のよさが虚構であると識別できる人、それが夫妻のいう育ちのいい人で、この愛想の良さを真に受けるのは育ちが悪いのである。》

プルーストはこのことがすぐ分かったのか、ゲルマント公爵に対し早速この処世術を実践している。オリヤーヌはこのことをあとで褒めそやすのである。