失われた時を求めて (102)

第十二巻に入る。アルベルチーヌがプルーストの顔も見ずに出て行った朝のプルーストの狼狽ぶりを笑って楽しむ所である。以下引用文。(吉川一義訳)

《それでもやはり、今しがた人生から余儀なくされた新たな一大転換のあとで私に課された現実は、物理学の 発見なり、殺人や革命の内幕をあばく予審判事の調査や歴史家の資料発掘なりによってわれわれが直面させられる現実と同じく、私にとっては新たなものであり、わが第二の仮説の貧弱な予測をはるかに凌駕するものであったが、にもかかわらずその予測を実現していたのである。》

このくらいは当たり前で、どんどんエスカレートする。

《この悲嘆は、忌まわしい状況の総体から勝手にとり出した悲観的結論などではさらさらない。われわれ自身が選んだわけではなく外部から到来した特殊な印象が間歇的に無意識裡によみがえったものである。》

《これ以上待つことなく即刻その女性を見つけだすのが生命にかかわる重大事と思われたこの恐ろしい惨事のさなかでも、われわれはその女性のすがたを忘れてさえいたのかもしれないし、そのすがたをよく想い描けずにつまらないものと想いこんでいたのかもしれない。女性のすがたが占めるきわめて小さな割合、これは恋が育まれるありかたの論理的かつ必然的な結果であり、恋が主観的な性格のものであることの明らかな寓意なのである。》

ちょっと何を言っているのかわからないけど笑える。

《私はアルベルチーヌをなんとしても今夜のうちにわが家へ戻らせるのだと自分に言い聞かせ、フランソワーズからアルベルチーヌが発ったと告げられて味わった苦痛を(なぜならそう告げられて不意を衝かれた私の心は、一瞬、この出奔は決定的なものだと信じたからである)なんとか断ち切っていた。ところが、当初の苦痛は、いったん中断したあと、独自の生命力の躍動によって私の心中にひとりでによみがえり、当初と変わらず耐えがたいものとなった。この苦痛は、アルベルチーヌを今夜にも連れもどすと自分に言い聞かせた気休めの約束より以前のものだったからで、苦痛を鎮めたその文言をわが苦痛は知らなかったのである。》

苦痛の擬人化〜これは歴史に残るに違いない。