東洋文庫 名残の夢 蘭医桂川家に生まれて (1941)

本書は桂川家の次女今泉みねが晩年に口述したものを息子夫婦が筆記したもので、エッセイまたは自叙伝といったものである。本文の一部を紹介する。

《そのころ私の家には、いろんな方達が出入りされておられました。家は代々蘭学をいたしておりましたもので、およそ洋学に志す人達はみんな集まっていまして常も賑やかでした。柳河春三、神田孝平、箕作秋坪成島柳北福沢諭吉、宇都宮三郎さん方のお顔はとくによくおぼえています。》

みねは福沢諭吉におんぶして遊んでもらったのをおぼえている。

《すみた川花の下漕ぐ舟人は 棹の雫もにほひこそすれ

これは父の歌でございますが、向島の花見といえば例の屋根船や屋形船で遊ぶことだったようでございます。もちろんどの船にもした方(鼓、太鼓など)がはいって賑やかにさわいでゆくのですが、中には琴の音も静かに下ってゆく舟もありました。それから面をかぶったりいろんな扮装をして土手を踊り歩くという連中は酔いどれの浮かれ者で、おもに身分のない人達でした。またその仲間には芸人も多いので、その芸人のお花見を素人が見物するということもありました。》

父の桂川甫周は幕府の奥医師で法眼の位まで上り詰めた人物であり歌、俳諧も能くした。将軍も病気ばかりはしていないので、ふだんは歌、俳諧のお相手をしていたのである。今泉みねは佐賀藩の今泉利春と結婚し、孫にも恵まれ83歳で世を去った。