失われた時を求めて (125)

この会話の続きにあるこの小説のいちばん気に入った部分を書いておく。以下引用文。(吉川一義訳)

《「いいかね、ボッシュの兵士というのは、すばらしく屈強な男たちでね、たくましく健康で、考えることといえば祖国の偉大さ、つまりドイチュラント・ユーバー・アレスだけだ。これがとうてい侮れぬことであるのに、われわれは—連中が男らしく覚悟を決めていたとき—ディレッタンティスムに憂き身をやつしていたのだ。」(略)「そう、われわれはディレッタンティスムに憂き身をやつしていた、われわれ全員がそうだ、あなたもそうだ、思い当たるふしがあるでしょう、あなたも私と同じく罪ノ告白をなさるがいい、われわれはあまりにもディレッタントだった。」私は、この非難に不意を衝かれ、当意即妙の答えができず、話し相手を敬うばかりか、その友情あふれる好意に心を動かされ、氏に促されて自分も改悛の情を示さなければならないかのような返事をしてしまったが、それはまったくばかなことだった。私には気の咎めるディレッタンティスムなど微塵もなかったからである。「では、これにて失礼」と氏は言った(氏を遠巻きにしていた一団も、ようやく私たちふたりから離れていた)、「老いぼれ爺は帰って寝るとしよう。ノルポワお気に入りのばかばかしい格言を借りれば、戦争がわれわれの習慣をことごとく変えてしまったようだ。」》

これはフランス人にとっては非国民のような発言だが含蓄が深く今も通用する。

この後シャルリュス氏と別れたプルーストは少々歩くのに疲れ、営業しているホテルに入って行く。部屋を借りてリキュールを飲み休憩するつもりが、屋上まで上がるとまたもや秘密の行為を目撃する。シャルリュス氏がモレルに似た青年と拷問プレイをしていたのだ。随分ワンパターンだがプルーストはお得意の恋愛の一般法則について長々と語るのである。