失われた時を求めて (128)

プルーストはこのような精神状態にある。以下引用文。(吉川一義訳)

《それゆえ、運命がたとえ私にさらに百年の生を、それも身体の障害に見舞われない生を余分に与えてくれたとしても、それは長くつづく人生につぎつぎと延長期間をつけ足すだけにすぎず、そんな人生が延長されることに、ましていつまでも延長されることになんの利点があるだろう?》

だが次の瞬間新しい世界の扉が開く。どういうことなのか、その瞬間を詳しく見てみよう。

《今しがた述べたような悲しい想いをめぐらしながらゲルマント邸の中庭へはいっていった私は、ぼんやりとしていて、一台の車の進んでくるのが目にはいらなかった。運転手の大声に、私はかろうじて脇へよけたが、あとずさりした拍子に、思わず物置の前でかなりでこぼこした敷石につまずいた。ところが、転ばぬように身体を立て直そうとして、片足をその敷石よりもいくぶん低くなった敷石のうえに置いたとたん、それまでの落胆は跡形もなく消え失せ、私はえもいわれぬ幸福感につつまれた。》

命の危険からアドレナリンがばっと出たのか、この人の場合は脳内エンドルフィンも出る体質なのかもしれない。この後給仕が鳴らしたスプーンの音にもはっとしている。プルーストはそれらを再現させようとしたが何れにせよ意識的に出るものではないので、結局眠っていたヴェネチアの想い出が突然顔を出したことにその原因を求めている。

《あのえもいわれぬ幸福感とそれがあらわれるときの圧倒的な確信との原因を探し求めるという、昔は先延ばしにしていた探求を、いまやなんとしてもやりとげたい気持ちだったからである。それで私はいくつかの幸福の印象をたがいに比較して、その原因を見抜くことができた。(略)そう考えると、私がプチット・マドレーヌの味を意識せずしてそれと認めたとき、私自身の死にかんする不安が跡形もなく消失したのは、そのときの私が時間を超えた存在になっていたからだとわかる。》

左様、先行きの心配やその他諸々の事柄に心を奪われて生きている限り、心がうきうきすることはないというのは納得できる。