失われた時を求めて (131)

第13巻も終わりに近づいてプルーストの論調が冴えわたってきた。以下引用文。(吉川一義訳)

《人生がわれわれに差し出すイメージは、実際にはそのときどきにさまざまに異なる印象をもたらしてくれた。たとえば、かつて読んだ本の表紙は、そのタイトルの文字のなかに遠い夏の夜の月明かりを織りこんでいる。朝のカフェオレの味は、その昔、凝固した牛乳を想わせる襞のあるクリームのような白い磁器の椀でカフェオレを飲んでいて、まだはじまらない一日が手つかずに残されていたとき、夜明けの不確かな薄明かりのなかでしばしばわれわれに微笑んでくれたあの漠とした晴天への希望をとり戻してくれる。一時間はただの一時間ではなく、さまざまな香りや音や計画や気候などで満たされた壺である。われわれが現実と呼んでいるものは、われわれを同時にとり巻いているこうした感覚と回想のある種の関係のことでありーーこの関係は単なる映画的ヴィジョンでは抹消されてしまうから、映画的ヴィジョンは真実だけを捉えようとしてなおのこ と真実から遠ざかるーー、この関係こそ、作家が感覚と回想というふたつの異なる項目を自分の文章のなかで永遠につなぎ合わせるために見出すべき唯一のものなのだ。》

文章表現についてなかなか核心を突いた名文である。このあと音楽芸術についても言及しているがそれは省略する。