ここで腰を据えて白居易(白楽天)(772~846)の詩でも味わってみよう。この文庫の編者は島根大学名誉教授森亮である。
〈別れの歌〉
さわさわと野原に茂った草、
その一歳の栄はひととせで終わる。
でも、野火に焼かれた枯れ草は亡びたのではない。
春風吹く頃ともなれば新しい芽が萌え出る。
香しい草はむかしの道をわが物顔に覆い、
晴れた日の野の緑は荒れはてた城壁までつづく。
ゆかしい人の去ってゆくのを送って又も野に立てば、
かがやくばかり青々しい草に別れの哀しみは広がってゆく。
〈南亭閑望〉
枕に頭を凭せかけて仕事のことは考えない。
二日ばかり門の戸差してやすんでいる。
役人とはからだをつかうものだと今度しみじみ感じた。
病気にならないと閑が得られないのだから。
南の庭のわが小部屋は方一丈の四阿づくり、
のどかな気分はそんな近いところにかくされていた。
その西向きの軒のほとり、竹の細枝がぴんと張った更に上に
太白山が濃い青の襞々をきざんで眺められる。
〈なんとなく〉
庭先で一日中ぶらぶらして夜になってしまうかと思えば、
灯し火のもとで時をすごして坐ったまま夜明けを迎えることもある。
このそぞろな心の動きをわたしは誰にも話さない。
この切ない気持ちを誰が分かってくれよう。
時たまああという溜息を繰り返すだけだ。
〈新しく官に就く人へ〉
思い叶って新しく官に就く人は如何にも若々しい。
秋の気澄み、君が身すくよかに、勇み立って天顔を拝するという。
青ぞらに昇りおおせるのに幾つか特別の道がある訳ではない。
いちばん肝要なのは馬をゆっくり走らせ、穏やかに鞭を当てること。
〈独楽吟〉
眼がかすみ耳いよいよ遠くなり、時にめまいに悩まされる。
まだ確かなものといえば心とくちとが残っているだけ。
今朝の心のはずみには多少の謂れがある。
仏名経百部をくちずから唱えおわったその安心感。
本書には中国古詩鈔も併録されている。古今詩賦、詩経私鈔、唐詩絶句と三部に別れており、独特の現代語訳が楽しめる。その一部を紹介する。
唐詩絶句より王維作
〈やまずみのうた〉
人ありとおぼえぬ山に
こだまして人の居るこゑ
夕日かげはやしにかへり
青苔の照りのかそけさ