東洋文庫 ハリス伝 (1939)

これは初代駐日本総領事タウンゼント・ハリスの長い伝記である。あまりにも長いので文章を抜粋して味わうだけにする。

《十一章 やもめ暮らしの日本生活

この盛宴のあくる日、ハリスは、マーシー長官へあててながい報告を書いた。それから寺院への引越しをやった。サン・ジャント号の木工は、まだ旗竿を仕上げていない。たぶん火曜日のパーティーのため仕事ができなかったのであろうが、ハリスはやや失望した。旗竿の設備と国旗の掲揚は、彼にとってはシンボルである。日本ではじめての領事旗であるばかりでなく、日本の反撃に対する、ハリス個人の勝利の象徴でもある。旗はできるだけ高く揚げてくれ、港へはいってくる船からも、近郷近在からでもよく見えるように、とハリスの注文である。そのため、これ以上の高い旗竿はないという円材に、途方もない金を支払った。》

《彼のような中年もののやもめ暮らしが、いかに困難なものかは推察にかたくない。しかも日本で家庭生活を営もうとする、最初の外国人である。独りものの味気なさは、シナ沿岸生活でひとしお経験したところ。それでもシナには、自分のためにあらゆる必要をみたしてくれる腕こきの従僕がたくさんいた。日本人からは、親しみのある親切な助力がえられない。実際、することなすこと邪魔立てをするか、不愉快や不自由をつのらせるために、特別仕組まれたような日本の奇妙な風習を自分に教えて、よろこんでいるという底意地のわるさ、彼にはそんな気がしてならなかった。》

《ハリスがはじめて日本の家庭を訪れる。そのときのもてなしは、まったく仰々しいばかり。主人側の苦労と出費はたいへんなものだったらしい。畳の上に日本式に坐らないで、気楽に坐れるよう洋式の椅子、テーブルを調達する。ハリスのためには、主人役が自分の居心地さえ犠牲にしてーー彼らも怪しげなかっこうで椅子に腰をおろすのだった。

家具は洋式、食事は日本式、しかもあらゆる方法でつくった魚料理が、約一二皿。慢性胃病と、ほんの数日前までわずらっていた擬似コレラの病後にもかかわらず、彼は思う存分食べたらしい。エビの天ぷら、さしみ、サツマイモとダイコンに舌鼓をうって、食卓は日本人の特技でかざられ、食事の終わりに、奉行手ずから茶を立てて、ものものしい茶器でハリスに茶をすすめるのであったーーこれは敬意と友情の天衣無縫のあらわれである。まことに美しいパーティーだった。そこでは日本人の得意とすると洗練の技が遺憾なく発揮された。》

本書は米国の作家カール・クロウによる『He opened the Door of Japan,1939』の日本語訳である。なお下田の玉泉寺にはハリスの顕彰記念碑がある。