東洋文庫 昨日は今日の物語 (1636)

江戸時代初期の仮名草子と見られている本書は正しくは『きのふはけふの物語』といい、いつものように現代語訳になっている。『戯言養気集』『醒睡笑』などと同類の本である。読んでみると『醒睡笑』より切れ味がやや優れている印象を受けた。少しだけ本文を紹介する。

1 皇居に陣をとる

昔、天下を治め給う室町幕府の将軍の御家中に、傍若無人な行動をする者たちがいたが、寄り集まって皇居に参入し、

「この場所を、陣として使用したい」 といって、槍の石突で御門を叩いた。女官が、あたふたと立出でて、

「ここは内裏様と申して、下々の者の気安く参るところではございませぬ。いずかたなりと急ぎ参るがよろしかろう」 と断ると、

「この家に陣をとらせぬという理由があるならば、亭主じきじきにこれへ出て、はっきりと断りをいうがよい」

6 御門跡(ごもんぜき)

嵯峨の大覚寺殿へ、田舎者の巡礼が参り、

「これは、なんと申す所か」 と聞いた。

「これは、御門跡」 と答えると、

「三文に負けて、見物はなるまいか」 と、ねぢこんだ。五文の関と思い違いしたとは、笑止千万なことだ。

30 一見卒塔婆

ある長老が談義の席で「一見卒塔婆、永離三悪道、何況造立者、必生安楽国」と「涅槃経」の一文を、繰り返し説経され、

「この文の真意は、ひとたび卒塔婆を見る者は、長く地獄・餓鬼・畜生の三悪道を逃れることができる」

と説かれた。ある人、これを聴聞して、不思議に思い、

「いかにお上人、お聞き下され。わたくしは念仏を申さないでも、成仏できると存じまする。その訳といえば、経に『ひとたび卒塔婆を見る者は、長く地獄・餓鬼・畜生の三悪道を逃れることができる』とありますなら、わたくしは、この年まで、どれほど多くの卒塔婆を立てもし見て参りましたか、知れません。いましがたも、沢山見て参りました」

というと、上人は、

「そういう意味ではない。幅一間の卒塔婆のことじゃ。そのような卒塔婆を見たり造るまでは、念仏を唱え給え」

テレビ朝日の番組で高田純次大覚寺を訪問し空海と名乗ったのを住職はこれはこれは御高名なお方と応対していた。令和二年の出来事である。