東洋文庫 百済観音 (1926)

著者の濱田耕作は型破りな感じの考古学者で美術史の分野にも著作がある。本書は著者の専門分野ではあるが気楽な雑文を集めたものである。

著者は百済観音像を法隆寺金堂で見て、後に奈良博物館で見ている。

《〜そのヒョロ長い反り曲がった像が高く玉虫厨子の上に突き出ていた姿は、よほど風変わりであった〜》

《この像の特徴とする単純さ、その温柔さ、またその夢のような情緒は、われわれを童話の天国、神仙の郷土へ誘い去らんとする魅力を持ってせまってくるかと思わしめる。》

このように随分思ったことが様変わりしているが、後者は美辞麗句過ぎるのではないか。むしろ前者の第一印象の方が客観的で正しいのだとも言える。次に考古学の話を紹介する。

《金冠塚の大発見

古の新羅任那の古い文化は、その国に残っている古墳の発掘によって次第に明らかになりつつあったが、大正十年九月新羅の邑外、鳳凰台の西方の半壊の塚から、偶然いままでにない大発見があった。その塚は爾来「金冠塚」と名づけられたごとく、黄金の宝冠ー約七十個の硬玉勾玉をつけた稀代の冠をはじめ、黄金の銙帯、黄金の腰佩一揃、黄金の耳飾り、釧、指環、黄金の碗など、純金の重量のみでも約二貫目に近い宝器が、積石の下に圧せられた漆棺の間から現れ、その他銀製、金銅製の装飾品、器物、金装の刀剣、玻璃器など数百千点に達する遺物は、従来われわれが古い新羅の時代に存在したとは想像にもおよばなかったものであった。》

京都帝国大学の梅原君は、総督府博物館の沢、小泉両君および慶州の官民の援助のもとに、件の二古墳を発掘調査することとなり、約二ヶ月の間これ等諸君の不撓不屈の苦しい作業は、ついに諸鹿の熱誠に報いて金冠塚の大発見と姉妹的の大発見を将来したのは、実に考古学上の一大業績と称するにたると思う。》

わりと新聞記事のようでわかりやすいが、筆が滑るのか文章に大本営発表のような香ばしさがある。