東洋文庫 入唐求法巡礼行記 1(847)

本書は円仁(794〜864)が入唐した際の十年間の記録である。一部を紹介する。

《二 堀港より揚州に向かう

七月九日、巳時、海陵鎮大使劉勉来たりて遣唐使等を慰問す。酒餅を贈り、兼ねて音声を設く。相従える官健の親事は八人なり。其の劉勉は紫朝服を着し、当村の押官も且同じく紫衣を着せり。巡検の事畢って県家に却帰せり。

十二日、東梁豊村より水路を取って随身物を運び、寺裏に置くこと畢る。同日午時、迎船を催さんが為に通事大宅年雄、射手大宅宮継等を差わして、水路より県家に向かわしむ。申時、雷鳴。留学僧等は東豊村に住して、未だ此の間に到らず。

十三日、大だ熱し。未時、雷鳴 。初め漂着してより以来、蚊蚋甚だ多し。その大は蝿の如く、夜に入って人を悩ます。辛苦極りなし。申時留学僧来たり、同じく寺裏に居る。赤痢を患うものあり。》

もう少し紹介する。

《十一 五臺山に到り大花厳寺に入る

(略)十六日、早朝、竹林寺を出て谷を尋ねて東行すること十里、東北に向かって行くこと十里、大花厳寺に到り庫院[庫裡]に入って住す。斎後涅槃院に入り、〔法〕賢座主が高閣殿裏に於いて『摩訶止観』を講ずるに在って止観を聴くを見る。堂内は荘厳精妙にして名づけ難し。座主云う、「第四巻を講じ畢る」と。講を下るを待って志遠和上の房に到って礼拝す。和上慰問するに慇懃なり。法堅座主は西京〔長安〕より新に来たり、文鑒座主は久しく此の山に住す。及び聴講の衆四十余人は並に是天台宗なり。》

当時の仏教界の様子が生き生きと伝わってくる。東洋文庫には入唐求法巡礼行 1と2があり、2の方には金剛界曼荼羅長安の絵師に描かせた事や会昌の廃仏の様子が書かれているらしい。又機会があったら読んでみたい。