東洋文庫 モンゴル秘史 1 (13世紀)

本書は那珂通世著『成吉思汗実録』を口語に訳し注解を多く加えたものである。『成吉思汗実録』とは明朝が漢訳編纂した『元朝秘史』の文語体訳である。さらに言うと13世紀にモンゴル帝国の宮廷に秘蔵されていた『秘史』というものがあって、それはモンゴル語の文なのであるが、ウイグル文字なのかパスパ文字なのか疑問が多いという。

民話風な部分がある。

《その母のアラン・コアの亡くなった後、兄たち・弟たちの五人で、馬群、食糧を分け合う時、ベルグヌテイ、ブグヌテイ、ブグゥ・カタギ、ブカトゥ・サルジは四人で互いに取ったが、ボドンチャルは無知な馬鹿者であるとて、親族に数えず、分け前も与えなかった。

ボドンチャルは親族に数えられなくて、ここに至って何になると言って、「背中に瘡ある、ちびた尾の」背黒の葦毛に乗って、「死ぬなら死のう、生きるなら、生きよう」と言って、オナン河を下って走って行った。去って、バルジュン島に着いて、そこで草葺の家を造って住んでいた。

そんな暮らしをしている時に、雛の大鷹が野雞を捕えて食っているのを見つけて、「背なに瘡ある、ちびた尾の」背黒の葦毛の尻尾の毛で罠を作って、捕らえて育てた。

(略)

ドレイン山の背後からトンゲリク小河を下って一群の民が移住して来た。ボドンチャルはその民の所に大鷹を放ってやって、昼は馬乳酒をもらい飲んで、夜は草葺の家に戻って来て、泊まるのであった。 それらの民はボドンチャルの大鷹を欲しがったが、やらなかった。(略)

兄のブグゥ・カタギはボドンチャル弟の愚か者がこのオナン河を下って立ち去ったとて、捜しにやって来て、トンゲリク小河を下って移営しえきた民に対して「かくかくの人、しかじかの馬を持っている者だが」とて尋ねてみると、その民の語るには「人も馬もお前の尋ねるのに似ている。」と言った。

しばらくすると、トンゲリク小河を遡って、やって来る一人の人がいる。ついて来てみると、ボドンチャルその人であった。兄のブグゥ・カタギは見て、認めて引き連れて、オナン河を遡り、馬を駆けて行ってしまった。》

この後皆でこの民を襲い、捕虜にして女に子供を産ませたのである。

チンギス・ハン誕生の記述がある。

《クトラは皇帝となってから、カダアン・タイシと二人でタタルの民の所に出馬した。タタルのコトン・バラガとジャリ・ブカの二人の所で、十三たびも戦ったが、アンバガイ・カハンの「仇返し、怨み晴らし」かねたのであった。

そこで、イェスゲイ・バアトルはタタルのテムジン・ウゲとコリ・ブカを頭とするタタルを捕えて来たが、ちょうどその時に、チンギス・カハンが生まれたのであった。生まれる時、右手に髀石のような血こごりを握って、生まれた。タタルのテムジン・ウゲを捕らえ連れて来た時に生まれたというので、テムジンという名を与えた次第であった。》

東洋文庫で三巻あるから、長い物語のようである。