東洋文庫 耳袋 1(1814年頃)

南町奉行の旗本根岸鎮衛が書きためた雑話集で全十巻あり、東洋文庫には二冊に分けて収められている。本文の一部を紹介する。

《盲人かたり事いたす事

安永九年の事なりしが、浅草辺とや、年若の武家、僕従三人召連れ通りしに、一人の盲人向こうより来たり、懐中より封じたる状一通さし出し、丁寧に右武家の側へより、「国元より書状到来のところ、盲人の儀少々心がかりの儀これあり候間、恐れ入り候事ながら読み聞かせ給わるよう」願いければ、家来などかれこれ制しけれども、その主人、盲人尤もの儀と、あわれみの心より何心なく封おし切り読み遺しける。その文段に、「金子無心の事申し越し候ども、在所も損毛にて調達いたしかね候間、漸く二百疋さし遺し候」ももむきの文面なり。盲人承り、「さてさてかたじけなく候。在所にても才覚ととのいかね候段、拠所なき事」といいて、右金子渡しくれ候様申しけるゆえ、かの若き人驚き、「文面には金子さし越し候段は有りながら、右金子、状中にはこれ無し。別段に届き候にはこれなきや」と答えければ、盲人いさゝかも承知致さず、何とやら盲目ゆえ掠めける趣に申しつのるゆえ、品々申しさだめけるといえども疑い憤り候間、拠所無く屋敷へ召連れ金子さし遺し候由。憎き盲人ながら、若きものは右様おおりから心得あるべき事なり 》

《老僕盗賊を殺す事

下谷どぶ店といえる処に、華蔵院といえる寺ありしが、かの寺に盗賊入りしを、寺に久しく仕えける老僕見つけて、「盗賊」と呼ばわりしを、右盗賊むずと組んで、もとより老人なればなんの事もなく取って押さえ、手拭を口へ押込みけるが、そのまゝに、盗賊悶絶して死し居たり。何か物音に驚きてほかほかの人も灯火などして見ければ、いかにも大兵の男、かの老夫を押さえ踏みまたぎて死せしゆえ、早々老父を引起し見しに、取組んで押さえられし節、両手をもって盗賊の陰嚢を強くしめて始終放さざりしゆえ、盗賊ついに命を失いしとなり。》

真偽のほどは定かでないが、このような談話、逸話、噂話がたくさん収められている面白い本である。