小説 天北原野 (7)

不凍港である真岡漁場の描写がある。

《この家の望楼には、若い者が海を睨んで、鰊の群来を待っている筈だ。孝介もまた、桜井五郎治の世話になった年から、何年もこの望楼に登って、見張りの若者と共に、じっと海を眺めたものだった。夕暮れの海辺に、俄かにゴメが立ち騒ぐ。と、鰊がもう砂浜まで押し寄せて、海が真っ白に濁ることさえある。見渡す限り一面、牛乳を流したようになる。それは、産卵したメスにオスが白子をかけるからだ。 ある年は、今日のように、鰊ぐもりの雲の底に月がぼんやり明るかった。 「おっ、群来て来たどお」 見張りの若者が沖の一点を指さす。その沖が横に長く銀色に光っていた。まるで月に照らされた銀波のようだ。が、照らすほどの月は出ていない。やがてその銀色の波がざわめき立ちながら、ひたひたと押し寄せてくる。若者がほら貝を吹く。 桜井漁場名物の鰊の大群来を知らせるほら貝だ。と、鰊御殿の中から、浜べの家々から、老いも若きも、男も女も浜べに向かってのめくるように走る。幼い子供や犬までが走る。》

当時の情景が実際に見えてくるようだ。

人をあごで使うという常套句のいい例文があった。

《「餓鬼だな、まだおめえは。造材師なんてものは、ちんとすまして、帳場をあごで使ってりゃいいんだ。あごでな。」》

このようにその資格がある人がそうするから周りも認めざるを得ないというニュアンスがあるのがいい。「人をあごで使いやがって。」という用例は嫌な感情が込みなので美しくない。

孝介とあき子の旅行は東京、箱根、熱海、京都、天橋立と訪問する豪華なものとなり、多くのお土産を持ち帰った。帝国ホテルでは女優の田中絹代を見たという。