小説 天北原野 (10)

下巻に入る。ある日孝介と貴乃と子供たちは行楽を楽しむ。完治は兵役に行っており、あき子は赤ちゃんと留守番している。

《やがて左手前方に多来加部落の家々が砂に埋まりそうに建っているのが見えてきた。家々の間に馬鈴薯の紫の花が風に揺れている。部落の外れで車は止まった。子供たちは浜べに走り出た。近くの海には磯舟が五つ六つ出ている。白く風化した流木が砂浜に重なって打ち上げられ、それがひどくひっそりともの淋しい。目のさめた京二も、水際まで走っていって、波に手をぬらす。かそけき音を立てて波が打ちよせ、そして引いて行く。子供たちは、海に心を奪われていたが、孝介と貴乃は、左手に海原のように広がるツンドラの草原を見て、声もなく立っていた。風呂敷をかぶったオロッコ人の女が二人、横をうつむいて通り過ぎていった。

「ここがツンドラなのね」

「そうです」

二人は顔を見合わせた。しみじみと心に通う想いがある。草原の彼方に鈍く光っているのは多来加湖か。やがて貴乃はうしろをふりかえって、

「みんないらっしゃい、ここがツンドラよ」

と呼ぶ。》

休日に車を飛ばして親族で浜辺とツンドラに行って遊ぶという光景は、辺境萌えの僕からすれば驚愕ものである。そこは極地探検に近いロケーションだし、人は住めやしない。だがオロッコ人が住んでいる。ロシヤ人や日本人に追いやられてこの有様なのだろう。