読了した。事件は派手なアクション映画のような展開となって終結する。パーシー・グリムという25歳くらいの州兵が活躍した。老夫婦は検事に見送られて故郷に向かう汽車に乗る。ハイタワーは、最後の最後にこのいざこざに巻き込まれてしまうが、結局無事だった。だが精神的打撃は大きく、小説の最後の部分で実存モードの独白が延々と続く。難解だがウパニシャッド程ではない。一部を紹介する。
《ついでに言えば、その肖像画の主人公であり持ち主である人は自分の画像をに目をやるたびにこの裏側の表情を見てしまうのだ。いやでも見てしまうのだ。『彼らも自分たちの役割を果たしたのだ、きまりに従ってその役を果たしただけなのだ』と彼は考える。『失敗したのはわしだ、わしはきまりを犯してしまったのだ。たぶんそれこそ社会に対する最も重大な罪なのだ。そうだ、たぶん道徳上の罪なのだ』。思考は静かに平穏に進む、流れつづけ、静かなさまざまな姿をとりはじめるが、それらはいずれもでしゃばらず、とがめもせず、特に悔やんでもいないものばかりだ。いま彼は自分を、多くの影の中にいる一つの影として目に浮かべるーーその自分とは、矛盾したことに、「教会」が最も手こずる部分にこそ、「理想の再現」があるという上辺の楽天観と自分本位な考え方を信じており、地上にいながら世間離れした崇拝を事とする「教会」には見出せなかったものを、盲目的な熱情や差し上げた両腕や男たちの声の中に見出せると信じていたのだ。》
出産したリーナとバイロンはどうなったのか。これについては心暖まるエピソードが付け加えられていた。ここで明らかになったのはリーナが平凡な男には手の届かないくらいのいい女だったということである。しかも肝がすわっている。フォークナーをもう1冊読んでからドナルド・キーンに進む。