新潮文庫版である。二つ目の『赤い葉』まで来た。情景描写があるので精読するために書き写しておく。
《午後早く、黒人は木のてっぺんから農園のなかを見おろしていた。イセティベハの遺体が、馬と犬がつながれている二本の立木のあいだにつるされたハンモックのなかに横たえられているのが見えた。汽船のそばの広場は、馬やラバがひく馬車や、乗用馬がひく荷車で、いっぱいだった。一方、バーベキューの肉から煙がゆっくり、もうもうと立ちのぼっている、細長い溝のまわりには、はでな色の服を着た女のかたまりや、小さい子供たちや、老人たちがうずくまっていた。たぶん大人の男たちや大きな男の子たちは、みんなむこうの川原におりてゆく、晴着をていねいに丸めて木のまたにはさみ、自分の跡を追いかけているのだろう。だが、一かたまりの男たちが、屋敷の入口、つまり、汽船の広間の入口近くにいた。彼はその連中をながめていたが、しばらくすると、その連中はモケタッベを、鹿革と柿の木の棒でつくった担いかごに乗せて運び出してきた。おたずね者の黒人は、木の葉におおわれた高い隠れ家から、モケタッベとおなじような深刻な表情で、自分ののがれるすべもない宿命を静かに見おろしていた。「さよう。すると、あの人も行くんだ。十五年間もその肉体が死んでいたあの人も、また出かけてゆくんだ」と彼は静かにいった。》
あまり上手とは言えないフォークナーの描写であるが、読み込んで行くと当時の情景が浮かんでくる。この小説は先住民の首長の3代にわたる評伝と見ることができる。先住民の悪い風習や退廃的な生活についてフォークナーによる独特の視点で描かれている。先住民と黒人奴隷の複雑な関係と相性の悪さが窺える。