フォークナー 短編集 (17)

短編集最後の「納屋は燃える」まで来た。実に遅い読書だが何か書くためにはこのくらいの速度になってしまうのだ。さてフォークナーの小説にはドラマとして再現可能な部分とそうでない心理描写のような部分が混在している。

主人公の少年が町を追われて一家で野宿した時の描写である。

《しかし少年はこのとき、こんなことを考えたのではなく、彼にとっては、生まれてからこのかた、焚火というものはいつ見てもおなじ、しみったれたものなのであった。彼はただ焚火のかたわらで晩飯を食べ、鉄の皿を持ったまま、もうすこしで眠りこけようとしていた。そのとき、父が彼を呼んだので、もう一度、彼はそのこわばった背中のうしろについてーーこわばってやけに足をひきずっていたーー丘の斜面をのぼり、一面に星の輝きの見える道路に出た。そこの曲がり角で、星空を背景に父の姿を見ることができたが、それは顔も奥行きもなく、まるでブリキを切り抜いたような、たが真っ黒で平べったく、血の気のない一つの形が、自分のためにつくられたものではない鉄の襞のあるフロック・コートを着ているように見えた。父の声はブリキのようにしわがれていて、ブリキのように冷たかった。》

演出家によっては映像化されてしまうかもしれないような場面である。しかし省略してもドラマとしては成り立つだろう。フォークナー原作のドラマや映画があるかどうか、いまのところ見つけていない。