岩波文庫 地獄の季節 ランボオ 小林 秀雄訳

全体的には難解で作者が何者だか解らない感じである。地獄の使者?死刑囚?わりとわかりやすかったところを一部紹介する。

《『お利口な方々』はキリストと一緒に生まれなすった。それというのも俺たちが霧でも耕しているからではないのか。俺たちは俺たちの水気の多い野菜と一緒に熱を啖っている。

そして酒びたりだ、煙草だ、無智だ、献身だ。ーー何もかもが、原始の国、東洋の思想と叡智とからは結構遠くにあるではないか。こんな毒物ばかりが製造されて何が近代だ。

『教会』の人々は言うだろう、「解っている。だが、あなたのおっしゃるのはエデンの事だろう。東洋人たちの歴史にはあなたのお為になるものはない」ーー 違いない、俺の夢見たものはエデンの園だ。いったい俺の夢にとって古代民族のあの純潔が何を意味する。

今度は哲学者だ。「世界は若くもなければ年寄りでもない、人間が単に場所を変えるだけだ。あなたは西洋にいるが、あなたがあなたの東洋に住むのは御自由だ、どんなに古いところを望もうと、ーーそこに手際よく住もうと、御自由だ。負けてはいけない。」哲学者、君らは君らで西洋種だ。

俺の精神よ、気をつけろ。過激な救いにくみするな、鍛錬を積むことだ。ーーああ、科学は俺たちの眼にはまだるっこい。》

これだと毒舌を吐く批評家であるが、当時の社会の雰囲気がなんとか読み取れるだろう。面白かったのは小林秀雄による解説文である。ランボオの家族宛の書簡がある。

《寒かろうが暑かろうが、涼しかろうが乾いていようが、この辺の気候にはもう慣れてしまったから、熱病や風土病にかかる心配もない。だが、こんな馬鹿げた商売をして、蛮人や白痴とばかり付き合ってると、日に日に老け込んで行くような気がします。今、此処で生活の糧を得ている以上、また、アデンにいようが他所に行こうが、人間誰しも惨めな宿命の奴隷であってみれば、他所に行くよりアデンにいた方が増しだ。あなた方も同意なさるでしょう。他に行ったら、僕を知る人もなし、もうすっかり忘れられた僕は、新規にやり直さなくてはならないでしょうからね。だから、ここで食える以上、僕はここにいるべきだ、ここにいるべきではないか、静かに暮らせるだけのものが手に入らぬ限りは、ところで、暮らせるだけのものは、決して手に入るまい、僕は静かに生きも死にもしまい、これほど確かなことはありますまい。要するに、回教徒が言う「世の定め 」だ。これが人生です。人生は茶番ではない。(1884年9月10日)》

《人生は辛い辛いといつも繰り返してるるような連中は、この辺に来て、しばらく暮らしてみるがいいのだ。哲学を学ぶためにね(1886年1月)》

このときランボオはタジュラーで隊商を編成し、アビシニヤの奥地に行こうとしていた。もしランボオが長生きしていれば奥地紀行などものにしていたかもしれないのだ。