岩波文庫 シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (1924)

とうとうここにぶち当たってしまった。若い頃当然読んではいたし、当時世間でもエピステーメー蓮實重彦冷し中華思想などで賑わっていた。蓮實氏の御子息は作曲家である。僕もシュールレアリスム風の絵を描いたり、作詞もしていたが長い間社会に揉まれているうちに目の前の課題にのみ集中してシュールレアリスムの事はすっかり忘れていた。

《人生への、人生の中でもいちばん不確実な部分への、つまり、いうまでもなく現実的生活なるものへの信頼がこうじてくると、最後には、その信頼は失われてしまう。人間というこの決定的な夢想家は、日に日に自分の境遇への不満をつのらせ、これまでに使わざるをえなくなっていた品々を、なんとかひとわたり検討してみる。そういう品々は、無頓着さによって、それとも努力によって、いやほとんどこの努力によって、人間の手にゆだねられてきたものだ。というのは、彼は働くことに同意したからであり、すくなくとも、運を(運と称しているものを!)賭けることをいとわなかったからである。そうなると、いまでは、おおいにつつましくすることが人間の持ち分になる。これまでどんな女たちをものにしてきたか、どんな出来事に足をつっこんできたかは、自分にもわかっている。豊かだとか貧しいとかいうことはとるにたりない。この点では、人間はまだ生まれたばかりの子どものままだし、また道義的意識への同意については、そんなものなくても平気でいられるということを認めよう。いくらか明晰さをのこしているなら、このとき、人間は自分の幼年時代をたよりにするしかない。》

新回路の発明に没頭していたとき、ふとシュールレアリスムを思い出したのかこんな回路も考えた。