ルポのようなものでも両方の立場から書かれたものが無いとなかなか検証しづらいと思う。北ボルネオについては珍しいことにそれらが揃っている。この本は抑留者側からの詳細な記録になっている。
このような記述がある。
『蒸し暑くて、甘美な匂いの熱気に包まれた赤道直下のボルネオは、小説よりもすばらしいところであった。小説と違って、何よりも現実であったからである。たとえば、季節風が、半年間はある一定の方向に、次の半年は反対方向に、とにかく一年中吹いていた。雨は生暖かく、どっと降ったかと思うと、灼熱の太陽があたりに湯気を上げた。赤道地帯の、足も踏み込めないようなジャングルでも、人がよく行くジャングルでも、黄色いメロンのような月の下で、あるいは青いグレープフルーツのような太陽のもとで、たくさんの人影を見た。酒を飲み、ものを食べ、寝たり、汗を書いたり、愛したり、憎んだり、私のような私生活を送ったり、していた。』
私生活をもうちょっと具体的に言えば、このようになる。
『スルー海とシナ海の青く生暖かい海に面したジャングルのはずれの地で、イギリスの植民地での生活が平穏に、イギリス人の生活らしく混乱することなく送られていた。社交クラブ、ゴルフクラブ、テニスクラブ、スカッシュクラブ、ブリッジクラブのほか、ラグビーやポロやサッカーなどがあって昼間はイギリス的な雰囲気に浸れたが、夜ともなれば、クナンガ、金香木、インドソケイ、ナンバンサイカチ、夕顔など、夜型の熱帯性植物が放つ強烈な香りが異国情緒をかもし出し、人を物憂い気分にさせるのであった。 ここでは、群れを離れたゾウや、猿、類人猿、カワウソ、ジャコウネコなどの動物と、ムルやドゥスンたちのボルネオ原住民が、裸のまま何の遠慮もせずに生活している一方で、帝国の建設者とその配偶者たちはお茶を飲み、黒の蝶ネクタイをつけ、クリケットをして遊び、讃美歌を歌い、クリスマスを祝ったりして、故郷を離れている間が長ければ長いほど、スコットランド人はスコットランド人らしく、イギリス人はますますイギリス人らしくなっていったのである。』
真珠湾攻撃が行われたのが1941年12月8日、日本軍がサンダカン沖に現れたのが1942年1月19日なのでこれはもう電光石火と言えるだろう。もしキース一家が危機感を持ってオーストラリアに避難していれば無事だったのにと思うが、ハリー・キースは元軍人だったし残るよう命令されていたので致し方無い。サンダカンは無抵抗で接収されたが、イギリスは大胆にも焦土作戦を実行している。
抑留者は日本人収容所があったバハラ島にまず収容され、その後サラワク王国の首都クチンの収容所に移動する。移動は船だったので死の行進のようなことは起こっていない。収容所生活は過酷なものだったが、所長が米国の大学を出た菅中尉だったのと、アグネス・キースの本は日本でも有名だったらしく、インテリの日本兵は読んでいたので、著者に対して異例の待遇があったのは事実である。またこういう経緯から白人王国だったサラワクを終わらせたのが日本ということになる。
キース母子にとってバナナは宝物、卵は黄金であった。子供にやさしい菅中尉からしばしばもらっている。栄養をどうやって摂るかが最重要課題で、マラリア、赤痢の脅威もあった。キニーネは懇願すれば何とか手に入った。物資は外部からの密輸でしのいでいたようだ。映画ではオーストラリア兵捕虜が機関銃で殺される場面があるが、本書にはそのような記述は無かったので演出のような気がする。