東洋文庫 サーマディーヴァ作 屍鬼二十五話 インド伝奇集(11世紀)

  王に抱えられた屍鬼が王の耳元で語る美男美女の物語である。各話には尤もらしく都市と王の名が出てくるが大嘘の話である。美女は白く光る月のようだと喩えられる。男の方も一目見て恋に落ちるくらいの美男でしかも大金持ちである。こういう話が延々と出てくる。王はスパイを放ったり行者は魔術を使ったりする。いろいろな神が出てきて首を切られて灰になった者も蘇らせる。この本を通読できればインドという国のことが大体理解できるのではないだろうか。

 

 

 

 

東洋文庫 蕃談 (1849)

  1838年天保9年)4月に能登を出発した長者丸は松前で昆布を積み込んだのち強風にあおられ金華山の方へ流される(1839年11月)。ついには太平洋まで流され漂流するが米国の捕鯨船に救助され(1840年4月)当時のサンドイッチ諸島(ハワイ)へ連れて行かれる。10名の船員のうち漂流中に3名が死亡し船頭の平四郎もハワイで病死する。残った次郎吉らはハワイで便乗できる船を待ちながら接待を受けたり製糖の労役をしたりして待っていたが一向に米国の軍艦がやって来ず結局イギリスの商船でカムチャッカに行くことになる(1840年7月)。カムチャッカにはロシアの基地があり兵舎に寝泊まりする。食事は大変粗末なもので閉口する。次に送られたところはオホーツクでここは交易の拠点であり物資は豊富だった(1841年7月)。ここの長官はゴローニンの甥であると言う。ここから日本へ行く交易船があるのだが荷物が優先され結局ロシアの軍艦でアラスカのシトカへ送られる(1842年8月)。ここには要塞、役所、倉庫があり長官(ロシア・アメリカ会社支配人)がいる。ここで中央からの指令を待ちついには択捉島まで送り届けられるのである(1843年5月)。

  蕃談は記憶力に優れた次郎吉を幕府が取り調べ供述を記録したものである。次郎吉には絵心もあり民俗学的研究の書のようでもある。

 

 

 

 

BSドキュメンタリー 希望と絶望のティファナ (2017)

  国境の町ティファナに中南米から移民希望者が集結している。トランプの大統領就任が拍車をかけている。教会やボランティアが運営するシェルターが有るがとても間に合わない。シェルターをあふれた人達がテントで暮らしている。ホンジュラスから着いたばかりの二人組がいる。ウーゴという人物が電話をかけまくって空いているシェルターを見つけてくれた。ウーゴ氏は地元で暮らしているメキシコ系アメリカ人である。祖父の代にアメリカに移住した。ウーゴ氏はマルタ一家を訪問する。メキシコ南部にいたマルタ一家は麻薬犯罪組織がはびこる町を捨てここにやって来た。難民申請中である。夫のルイスは滞在費を稼ぐためコインランドリーで働いている。 ある日マルタが部屋に帰ると部屋が荒らされていた。現金と旅行カバンが盗まれていた。警察は現行犯以外は逮捕してくれない。

  国境には二重の壁があり警備隊が見回っている。70万円で国境越えを助ける業者がいる。お金の無い人は自力で越えようとする。最近ハイチからの流入が急増している。山間部のシェルターに彼らが入っている。水と食料が不足しているが援助が得られていない。市も対策に乗り出すが予算が十分でないと言う。二人の青年が死の谷を降りて行った。ウーゴ氏は留まるよう助言したが行ってしまう。その後強制送還された。ロドリゴ一家は犯罪組織から金を要求され国境まで逃げて来たという。弁護士が無料相談に乗る。国境を超えても拘束される可能性があるという。

  マルタ一家がシェルターから退去を食らった。長期の人は出て行くことになるのである。雨の深夜を狙って排水溝から国境を越えようとする一団がある。ノルマ一家である。ビニール袋をかぶって排水溝に入って行った。どうなったのかはわからない。

   このドキュメンタリーも力作だがこの問題を扱った映画もすでにある。闇の列車、光の旅ではより具体的な状況が描かれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

FNS ドキュメンタリー ロシア娘に愛を込めて (2014)

  神奈川在住の元大学教授S氏(65)は7年前にナターシャさん(33)と見合い結婚しすでに二児がいる。幸せそうである。有料のお見合いサイトA Russian Beauty の会による仲介である。代表の山口氏は元商社マンである。1999年にこの会を立ち上げている。地方都市のナーベレジヌイェ・チェルヌイに事務所があり入会希望者を集めている。50人ほどの女性が入会している。


  岩手在住の公務員K氏(33)がイリーナさん(28)と見合いをする。電子メールによる文通を重ねた後来日し数日間同居するというシステムである。ボーリングをしたりスキーをしたりして休日を楽しんで帰って行った。イリーナさんは悩んだ末プロポーズをOKする。

  茨城在住の不動産経営のO氏(66)はディナーラさん(28)と見合いする。氏は9000万円の豪邸に住みいくつかの賃貸物件を所有している。ロシア人と結婚し男の子を産んでもらい財産を相続させたいと希望している。事故で片脚を失っており独特の人生哲学を有している。今回の見合いではそれが裏目に出てプロポーズを断られた。ディナーラさんは布団を敷かされたり台所の掃除をさせられたりして内心激怒していたようだ。

  こういう密着取材がドキュメンタリーとして成立しているのかどうかには疑問がある。これは同社のプロモーションビデオとも言えるのである。 尚同社のホームページにはO氏が昨年の2月にウズベキスタン出身の30歳の美女と結婚した様子が動画でアップされている。


 

 

FNSドキュメンタリー 京大卒34歳ニート (2014)

  PHA氏の密着ドキュメンタリー。氏は大学卒業後就職するが三年で辞める。今の収入はネットの原稿料、広告料、不定期のバイトで月8万円という。都内のシェアハウスに住み仲間と肉パーティーをやる。檜原村のへんぼり堂に仲間と訪れる。素泊まり一泊三千円のゲストハウスである。食材を持ち込み鍋料理をつつく。

  ある日ブログの欲しい物リストに書いておいたカセットコンロが送られてくる。年の瀬になりPHA氏は別荘へと向かう。乗り放題切符で途中下車しながらの旅である。三島で立ち食いのコロッケそばを食べ焼津で足湯に入り名古屋のビジネスホテルに泊まる。翌日の夜熊野川町のシェア別荘に到着する。ここは伊藤氏が空き家をボランティアを使って改装したものでPHA氏も手伝っている。滞在中伊藤氏らと熊野川町の小口農協の物件を調べる。ここを掃除してシェアオフィスにする計画である。又NPO法人共育学舎の三枝氏を訪ねる。ここは引きこもりの人を無料で受け入れて農業体験をさせる施設である。

  大晦日は集まった仲間達と焚き火をして年を越した。35歳になったPHA氏はニートを卒業すると宣言した。

  彼は元よりニートでは無い。学問を修めたのち人と張り合うのを止めたのであって列子に出てくる林類とは事情が異なっている。社会の抜け道を探すため頭脳をフル回転させている様に見える。