現代大戦略が教えてくれる事

9月10日からまた大戦略を始めている。電子回路の方は進んでいない。哲学的なことは人間に聞くよりもゲームソフトの方が正しく教えてくれる。

キャンペーンの36ターンの布陣だが戦車が森に配置され飛び道具は弱いので囲んである。補給車も適度に埋め込まれている。敵の首都に近接した布陣による敵軍殲滅作戦である。哲学的な結論は「必要な時に必要なものがある様にしておくのが正しい。」ということになる。たった一つの大砲の射程内に敵がいる場合形勢は不利でもワンチャンスあるでえという思考が取れる様になる。

東洋文庫 鸚鵡七十話 印度風流譚 (7〜12世紀)

ハラダッタの息子マダナセーラとクヌダーコーシャの美しい娘プラヴァーヴァーティーが夫婦になり愛欲の限りを尽くしていた。周りが見兼ねて忠告するとマダナセーラは商売をするため旅立つことにした。残されたプラヴァーヴァーティーの悲しみを癒すように鸚鵡と鴛鴦のつがいが残された。これから毎晩一話ずつ70日間鳥がプラヴァーヴァーティーにお話をして聞かせるのである。

すると早速この国の王子が現れてプラヴァーヴァーティーを見初める。使いの女の巧みな甘言にそそのかされたプラヴァーヴァーティーがおめかしして外出しようとすると鸚鵡が語りかける。

第1話 ある町でのこと、商人の妻グナシャーリニーがヴァスダッタの息子に見初められ周旋女を送り込む。周旋女はグナシャーリニーと昵懇の仲になり何でも言うことを聞いてくれる事を約束させる。男と逢引しなくてはいけなくなったグナシャーリニーは悩んだ末、混雑した寺院の前を待ち合わせ場所にした。周旋女は顔がよく似ていて見分けがつかなかった男の手を引いて会わせたところ男はグナシャーリニーに夫であった。グナシャーリニーは女を買おうとした夫をなじった上で不義の罪を犯す事も逃れることが出来たのである。さてプラヴァーヴァーティーよ、貴方もこの様に振る舞えるならどうぞお出かけなさいと鸚鵡は言ったのである。

第2話 ある町でのこと、若い王妃シャシプラダーがナンダナという商人に見初められた。恋の悩みでやせ細ったナンダナを見て母のヤショーダーが問いただした。事情を知ったヤショーダーは修行者の姿になりお供と牝犬を連れてシャシプラバー家の門のところへ行き自分は巡礼中だが疲れてしまいここで野宿したいと門番に告げる。そしてそこで毎日牛糞塗り、礼拝、焼香などを牝犬に対しておこなうのである。これを見たシャシプラバーが訳を聞くとヤショーダーはこう言った。「私と牝犬と貴方は元は同じ胎の姉妹で、ある商人の家で暮らしていたが恋に悩む男には体を与えた私はこの様に前世の記憶を持つ尼僧となり、貞節を守った妹は施しをしなかった罪過により犬に生まれ変わりました。貞節を守った貴方は幸い今の様な幸せな境遇を得ておりますが流転する世の中を乗り切って行こうという望みがおありでしたら恋に悩む男と寝ることによって前世を知るという特別な知識を得ることができるでしょう。」するとシャシプラバーは平伏して女の言うことに従ったのである。さてプラヴァーヴァーティーよ、貴方もこの様な詭計をもって事態を変えられるならどうぞお出かけなさいと鸚鵡は言ったのである。

このように第70話まで鸚鵡が話し続けると王子がやって来た。王子の猫は鸚鵡を殺そうと狙っている。鸚鵡がこう言うと王子は退散して行った。「猫さん、お前はなぜ鳴くの。敵でも泥棒でもないのにさ。この方はナンダ王の御皇子で、よその女の乳兄弟。」

東洋文庫 パンソリ 申在孝 (1870年ごろ)

本書は民衆の芸能であるパンソリを 申在孝が脚色、筆録したものの日本語訳である。四つの演目が収録されているが冒頭にある「春香歌」の内容はこんなものである。

湖南左道の南原府に妓生の娘として生を受けた春香は絶世の美女であった。府使の令息である若君は広寒楼に遊んだ折に見かけた春香の美貌の虜になり春香と強引に契りを結んでしまう。両班だが科挙合格もしていない青年ゆえ春香の母は百年の佳約を結ぶ書付をしたためさせている。夜昼となく通い詰める若君だが父が都に転勤となり同行せざるを得なくなる。春香とその母は嘆き悲しむ。新しく着任した府使が春香を呼んで夜伽を命ずるが春香は頑としてはねつける。怒り心頭に達した府使は春香を捕らえて投獄し拷問を加える。息も絶え絶えになった春香だがちょうどその頃科挙に合格した若君は地方の悪政を暴く暗行御史として南原に潜入する。バレないよう落ちぶれた旅人に扮した若君は府史の宴に入り込み冷遇される。が、やがて素性を現す。うろたえる官吏たちを尻目に若君は囚人を解き放ち春香も家に帰した。若君は府使を罷免し全羅道を行脚した後、都で春香達と幸せに暮らしたという。

この手のストーリーは中国や日本にもあるが朝鮮のはちょっと毛色が変わっている。読むとわかる。またこれは小説、映画にもなっていて春香伝(2000)という映画、春香秘伝(2010)というドラマが制作されている。本書には他に沈清歌、兔亀歌、朴打令が収録されてる。

東洋文庫 薔薇園 サアディー 著 (1258)

この書はシラーズ出身の天才詩人サアディーが書いた散文と詩による道徳の教えである。読んで行くと商売上手なアラブ人の事を敵視しているのが窺える。

第3章 物語15

私はある砂漠のアラブ人がバスラの宝石商らの仲間に加わり、こう語っているのを見た。「砂漠に道を失い、旅の糧食は尽き、やむなく朽ち果てようと腹を決めた時、偶然真珠の填まった袋を見つけた。焙った小麦であろうと思った時の喜びと、真珠と知れた時の悲しみと落胆は全く忘れようにも忘れられぬ!」と。

乾いた砂漠の流砂のなか、
咽喉の乾いた者の口に真珠や真珠貝が何の役に立とう!
糧なく打ち倒れたものの腰紐に、
黄金や陶器片(ハザラ)が何の役に立とう!

第4章 物語9

私はかつて家を買おうか買うまいかと躊躇していたことがあった。ある猶太人がこう言った。「求めるがよろしい。私はこの界隈の家主である。どのような具合かその家の様子なら私に尋ねられるが良い。求めなさい。あの家には一点非の打ち所もないから!」と。私は述べて言った。「そなたが隣人である以外には・・・・・」と。

汝のような隣人をもつ家は、
十ディルハムの安値に値しよう!
しかし人は望むであろう、
汝がないのち千金に値するようにと!

第5章物語11

人々が博士(ウラマー)に問うて言った。「もし人が月とまごう美貌の(若者)と、衆目を避けて、同席し、戸を閉ざし、友だちが寝こんでしまった時、欲情が起こり、色情制するに由なく、アラブ人の言葉のように『棗椰子熟して番人が妨げない』時、自制心によって事なきを得ましょうや?」と。答えて曰く、「たとえ美貌の主について事なきを得ようと 到底誹謗者の誹りを免れることはできまい!」

人は自らの邪心の禍を免れることはできようが、
到底敵の悪意から免れることはできまい!

以下略

石原家の人々 石原良純著 (2001)

石原家次男の著者による回想的ルポルタージュである。家長たる石原慎太郎と妻典子、4人の子供達が逗子の入り江を見下ろす豪邸で繰り広げる緊張した生活と成城に住む叔父裕次郎との交流を中心に描かれている。著者は次男の立場で物を見たり経験したりしており実に良く本質を見抜いており文才もある。筆致には端々に謙遜がみられるが学業の方は慶応幼稚舎から慶應大学まで余裕でこなし、父とはヨット、ゴルフ、テニスのお相手をするというスーパーお坊ちゃんという人物である。大学入学のお祝いに叔父からオレンジ色のフェアレディをプレゼントされた事、裕次郎の慶応病院での手術、肝がんの悪化による最後が近くにいた甥の目から見た事実として書かれている。報道されていたことと大体同じである。代議士だった父慎太郎が舌禍問題から議員をスッパリ辞めた後都知事選に打って出る様子や、選挙妨害とみられる四男への中傷についても書かれている。大学の頃新築中の叔父の家を見せてもらった時の描写にイギリスの図書館風の書斎という行があり豪放なヨットマンという印象の慎太郎に対し繊細なロマンチストの裕次郎という構図が垣間見れる。結局著者は石原プロに入社し俳優としての人生を歩むことになる。