映画 ライアンの娘 (1970)

第一次世界大戦中のアイルランドの小さな村でのいささか不謹慎なお話である。村の置かれた状況は厳しい。若者には仕事も無くイギリス軍が駐屯して居る。酒場の経営者で工作員のライアンにはローズという美しい娘がいた。村には釣り合うような男がおらずぶらぶら遊んでいたローズだが年の離れたインテリ教師が出張から帰ってくるとその日に告白して妻にしてもらう。

初夜のベッドでは淡白な夫に肩透かしを喰らったようだ。自分の不幸を嘆きながら浜辺をさまようローズに神父が道を誤るなと諭す。そこへ若い英国人将校が療養がてら単身赴任して来る。程なく二人は不倫の関係になってゆく。美しい自然描写と共に水面下で独立を準備している男たちのストーリーも進行して行く。ジョン・ミルズ扮する道化役のマイケルが最初から最後までパントマイムの名演技でローズの運命を導いて行く。不倫が知れ渡ったのも将校が自殺したのもマイケルのとぼけたような行動がきっかけである。

独立派の活動家が暴風雨の海から武器を回収するシーンはダイナミックでエネルギーにあふれ感動的だったがイギリス軍がご苦労様という風に銃を構えて待っていた。捕らえられた首謀者達には絞首刑が待っている。その後は群衆によるローズへのリンチがあり夫婦の石もて追われる結末が描かれる。ダブリンに出て離婚するという二人に神父から最後のアドバイスが伝えられる。その後二人がどうなったのかはわからない。

ダイヤモンドバッファ使用負性インピーダンスヘッドホンアンプ

負性インピーダンスアンプが次から次へと出てくるが今度はポピュラーな回路なので作るのも容易だと思う。

測定してみると出力インピーダンスはー8Ωになっている。LME49600の方が明るい音だがこちらの方は奥深い感じのする音になっている。

前略おふくろ様 II 第12回 (1977)

枕の寸劇では新年を迎えたサブが餅を焼きながら母に年賀状の返事を書いている。30日まで働いていたので切符も取れず帰れなかったと詫びる。だが兄の年賀状によれば母のボケ具合はひどくなっているらしい。

川波の朝の光景。板前たちが作った御節料理を囲んで味見をしている。女将さんによると海ちゃんを見初めたという人がいてお見合いを設定したいという。大学教授の松岡氏のお弟子さんだと言う。サブが海ちゃんに話すとたいそう乗り気である。さてどうなる事やら。

利夫が出初め式の練習で梯子から落ちて入院したという。病院を訪れたサブは面会できずに半妻に追い返される。建前上利夫は盲腸という事になっている。その夜赤提灯でサブと半妻が一杯やる。半妻が頭を掻きながらここ11日ばかり妻の生理がないのだと言う。何か責任を感じると言う。どこか嬉しそうな表情を見せる。男なら東大、女なら白百合か雙葉を狙わすと言う。サブに名付け親を依頼する。

アパートに帰り海ちゃんに声をかけると何だか沈んでいる。次の日の朝、松岡氏急病のためお見合いが急きょキャンセルとなった。サブが海ちゃんに知らせようとすると海ちゃんは逃げていた。叔父さんの相手の花恵がサブのアパートを訪ねてくる。昨日叔父さんと海ちゃんが大喧嘩して親子の縁を切るまでになったと言う。その原因は自分と叔父さんの間に子供ができたためだと言う。サブがお茶を入れると飲まずにそそくさと帰っていった。

今度は女将さんがやってきて急病の松岡氏を訪ねろと言う。中央証券の片島三郎と名乗り菓子折を渡すと松岡氏はピンピンしており大慌てでサブを喫茶店に連れて行く。急病は嘘でありサブに言い訳する。菓子折には手紙が入っておりそれを読んだ松岡氏は呆然とする。二人は相談し病状は腹痛と発熱という事にする。

叔父さんが夜やってきて屋台で一杯やる。サブが海ちゃんの事を花恵さんから聞いたと言う。サブの長々とした話を聴いた叔父さんはおもむろに語り出す。自分は50の誕生日に考えが変わったのだと言う。妻より長生きして妻を看取ろうと思うようになった。自分は海ちゃんに勘当されたんだと言う。何だかよく分からない。結構適当に生きている人なんだと思う。

サブは訪問の結果を女将さんに報告する。その晩海ちゃんは帰ってこなかった。

吉田秀和 名曲のたのしみ 2012年2月11日放送分

今日はまずラフマニノフの歌から聴きましょう。前にも聴いた作品14の歌曲集、これは12曲からできているものですけど、その9、10、11、12と4曲を続けて聴くことにしましょう。9番の曲は「彼女は真昼のように美しい」その次「私の心の中に」、第11番の曲は「春の流れ」、その次第12番の曲は「時は今」この4曲続けてエリザベート・ゼーダーシュトレーム のソプラノ歌手の独唱と、ヴラディーミル・アシュケナージのピアノで聴きましょう。〜音楽〜

今度は作品21、12の歌曲集、これは第1曲を除いて全て1902年の作曲です。でこの年の5月ラフマニノフはいとこのナターリア・サーチナと結婚しました。第1番の曲は「運命」、ベートーベンの第五シンフォニーに寄せてという但し書きがありまして、彼の親友だった有名な歌手ピョートル・シャリアピンに捧げられたのです。2曲は「新しい墓の上で」第3番目の曲は「夕暮れ」この3曲続けて聴きましょう。〜音楽〜

次に第4曲「女たちは答えた」、第5曲「リラの花」、第6曲「ミュッセからの断片」という題ですけれども、この3曲続けて聴きましょう。〜音楽〜

次は第7曲「ここは素晴らしい」、次の第8曲「まひわの死に寄せて」、次第9曲「メロディ」という詩、以上3曲続けて聴きます。〜音楽〜

次は第10曲から3曲続けて「イコンの前に」、「私は預言者じゃない」、「何という苦しさ」以上3曲続けてエリザベート・ゼーダーシュトレーム のソプラノ歌手の独唱と、ヴラディーミル・アシュケナージのピアノで聴きましょう。〜音楽〜

以上の歌曲集を書いた後1904年から1905年にかけてラフマニノフは二幕もののオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」を書きました。その中にフランチェスカのアリアが有ります。それをアンナ・ネトレプコが歌ってるCDが有るのでそれを聴いてみましょう。〜音楽〜

今聴いたのはネトプコの独唱、マリインスキー劇場管弦楽団ワレリー・ゲルギエフ指揮といった顔ぶれによる演奏でオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」の中のアリアでした。

まだ時間がちょっとあるので若い時の作品「ピアノのための5つの幻想曲作品3」この中から第1番目の曲エレジー これをLaure Favre-Kahn のピアノで聴きましょう。〜音楽〜

今日は今聴いた云々、それから云々を聴きました。それじゃ又来週。さよなら。

映画 東京難民 (2014)

主人公の修は東京の私大に通う平凡な学生だがある日父親の失踪により学費未納となり除籍される。ここから生き延びる為の行動を開始するのだが修は東京で結構戦える人物のようだ。あっさりアパートを追い出されるがネットカフェで情報を収集し治験のアルバイトでかなりのお金を稼ぎ、誘われて偶然遊んだホストクラブでホストに採用される。新入りとして地道に働くうちに茜という美人ナースに気に入られ深い関係になる。

しかしクラブ内の金銭トラブルに巻き込まれた修は同僚の順矢と失踪し建設現場でしばらく働くことになる。結局順矢がホストクラブ側に見つかり連れて行かれたのを契機に修も捕まってしまう。順矢はヤクの運び屋をやらされる事になり修はリンチを受けて河川敷に放り出される。その後はホームレスの仲間に入れてもらって暮らすが傷が癒えた頃茜がソープ嬢として働いているのを知る。修はソープを客として訪れ茜に詰られるが結局涙ながらに抱き合いハッピーエンドの様になって終わる。

どうも全体的な印象としては修がモテモテで幸運にも恵まれ地獄には辛うじて落ちずに済んでいるという風に見える。R15指定だがやや教育的な映画だからだろう。もしドキュメンタリーで描くなら目を覆いたく様な事が次々と起こるだろうしそれでも登場人物はしぶとく生き延びて行くというパターンになると思う。事件に発展するケースは意外と少ない様な気がする。

負性インピーダンスアンプの効果

負性インピーダンスはスピーカーのQsを電気的に下げるという効果をもたらす。シミュレーターで負性インピーダンスアンプを書くと、

このように電流正帰還の量によってQsが変化するのが見れる。Qsが変化すれば過渡特性も変化する。サイン波の4波バースト信号を入力した時の速度特性の波形を見る。

ノーマル

電流正帰還後

東洋文庫 北伐の途上で他 郭沫若自伝4 (1936)

「北伐の途上で」は1926年の北伐軍による武昌攻略の経緯を政治部NO.2の郭沫若ができるだけ正確に書き残したという回想録である。8月24日長沙に駐屯中に急遽命令により北へ出発することになる。筆者も秘書の李徳謨(リートーモー)と共に列車に乗り込み二時間くらいで汨羅に着いた。そこからは裏道を行軍する。幹部である筆者は馬に乗っている。露天で寝たり民家に宿泊する。ある民家に泊まった時その家を観察し二度の零落を経た主人の行く末はルンペンプロレタリアートだろうと推測する。その晩は南京虫の大群に襲われ目を覚ます。怒った筆者は虫を踏みにじり南京虫帝国を打倒したと息巻いている。翌朝疲弊した馬を民家に預けて徒歩で出発し蒲圻の駅に着く。ここからは軍用列車で北へ向かう事になる。列車は激戦地だった所を過ぎる。その時筆者は多くの死体を目撃する。五時間ほどで咸寧に着くとようやく政治部主任の鄧択生に追いついた。しかし会う間も無く鄧は先に出発してしまう。

そこからは再び自分の部下と共に徒歩で行軍する。今度は地雷に注意しながら線路沿いを行く。北軍兵士の死体が転がる中だんだん前線に近づく音がする。賀勝橋に至り民家に泊まる事になる。咸寧では店の食糧が尽きており豆腐乾しか食べていない筆者はお腹が空いておりご飯は食べられたものの自分たちにはおかずが無かったという不満を漏らしている。丸一日行軍して武昌の手前の紙坊に着く。ここでも炊いておいた粥が後から来たもの達に全部食べられており筆者の怒りが爆発する。「国民革命か!こういう便乗屋のエセ紳士たちを新しい官僚にしてやるだけじゃないか。」と心で思ったが口には出さなかった。

武昌の入り口で鄧らに追いついた。まだ入城しないのは劉玉春率いる北軍が居るからである。砲弾が飛んでくる。突撃は諦めて南湖文化大学に事務所を置き宣伝活動を準備する。その夜は洒落た洋館に呼ばれ鄧ら中枢部と再会しもてなしを受ける。この時食べた清沌鶏(チントンチー、鶏のスープ煮込み)の事を今でもよく覚えて居るという。

その夜、闇に乗じて40の梯子を用意して奇襲をかける事になった。だが敵が待ち構えており失敗する。誰も帰ってこないので筆者は不安になり周恩寿(周恩来の弟)らと共に偵察に行く。鄧らは長春館にいた。その日は引き揚げる事になり小さな村に寄ってみるとそこには総司令部がやって来ており蒋介石の姿も見えた。張飛に例えられる張発奎もいる。

さらに4倍の梯子を用意して夜襲をかけるがそれも失敗する。この戦いで紀徳甫が銃弾を受けて戦死する。遺体は大学に運ばれる。筆者が検屍し追悼の漢詩を詠んだ。翌日遺体はお寺に運ばれ葬儀が行われた。紀徳甫は山東省出身でロシアに留学した共産党員だったという。北伐軍は国民党右派、国民党左派、共産党の混成部隊なのである。当時の郭沫若は国民党左派と言って良い。

政治部は長江を挟んだ向かい側の漢口に拠点を移す事になる。ちょっとしたトラブルから鄧らと対立した筆者は嫌気がさしたのか辞表を書くが鄧の真摯な説得により辞表を撤回する。漢口で活動を続けるうちにとうとう武昌が陥落する。劉玉春も生け捕りにした。武漢三鎮を制圧した革命軍は江西の攻略を進める事になる。筆者らが政治工作の使命を帯びて船で九江に向かうところで回想録は終わる。