東洋文庫 楽郊紀聞 1 対馬夜話 (1859)

  対馬の人、中川延良が若い頃より見聞きした事を記し集成したものである。対馬藩主の事から始まり家来、町人、故実、雑文、異聞、地理、仏寺、墳墓、郷村についての細かな事が記されている。巻一の1には初代当主宗知宗は護国大明神として祀られ文化元年に五百五十回忌がとり行われた事が記され、行うべき日についての言及について著者は怪しいと言っている。以下記事の実例を少し挙げておく。

  (巻四の6)竜田平作、大小姓御横目にて朝鮮在館中に、小筒の鉄砲の捻を抜去り、柱に結付け置て、穴中より北極星を望む事数月なり。時によりては、北極、穴中より見えざる事あり。是則、北極微動の故也、と申せし由。

  (巻五 異聞 1)筑後国久留米水天宮の社説に、安徳天皇は、皮籠に石を入れ、海に落とし入て御入水と申ふらし、実は夫より彦山に山越え遊ばされ、御隠れなさる。原田種直を御頼みあり、其御子様即ち惟宗知宗公也と申由。

  (巻六 仏寺 25)暢願寺に、以前盗人入て、寺の縁の桁に掛たる半鐘と、別に小祠を設けて置きし弁財天の像とを取り去けり。吟味あれ共知れず。其後数年を経て、旅人寺に来り、弁財天の像を出して、「是は御寺のもの也と申事に候。私の所縁の者、人より買いしに、その後より心地常ならず。一夜夢に人来りて、『我は対馬国のもの也。池の上に住む事久し。早く元の国へ返せ』と申され候。夢さめて買主、定めて此御像成べしと存じ候故、此節頼まれて持渡候。人に尋ねて候へば、御寺のもの成べし申候。」と云。住僧是を見るに、則ち盗まれし弁財天の像に相違なし。則ち受取りて本の如く安置せり。後此話弘まりて、参詣の人多かりければ、願いて開帳せしと也。

 

 

 

 

映画 バクダッドカフェ (1987)

  カリフォルニアの砂漠にあるここバクダッドカフェはおしゃれなカフェでは無く廃業寸前のモーテル兼レストランといったところである。モーテルの一室には女性刺青師が部屋を借りて開業しておりキャンピングカーに住んでいる老人もいる。店主のブレンダは攻撃的な性格の人物で音楽好きな息子をガミガミと叱り、ぶらぶらしている夫を罵る。映画の冒頭で夫は車で家出をしてしまった。

  さてここにやって来たのはどうみても場違いのドイツ人の太ったおばさんで名前をジャスミンというが宿泊を申し込みカフェでコーヒーを所望する。あいにくコーヒーメーカーは壊れており従業員が砂漠で拾ってきたポットのコーヒーを出してみたところ口にあったようだ。何の事はないこのポットはジャスミンが砂漠に置いてきたものなのである。   

  このようなシュールな状況が一変するのはこのむすっとしたジャスミンが長逗留するうちにカフェを手伝うようになってからである。最初はブレンダとジャスミンは対立していたがある日ブレンダが折れて仲直りする。ジャスミンがたまたま手荷物にあった手品セットを練習してマジックと音楽のショーを始めたところバクダッドカフェは大盛況となりブレンダもミュージカルスター並みの歌声を披露する。なにもかも上手く回転していった日々にも終わりが来る。観光ビザで入国していたジャスミンが移民局に呼び出され強制退去となったのである。

  骨組みとしてはこのような話だが何か騙された様な気がする。いきなりやって来たジャスミンがブレンダを感化して立ち直らせたというストーリーだがこのような救いの神は現実にはやって来ない。ブレンダ自らが誠実さを学び改心する他にはこのようなカフェの生き残る道はないのである。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUAL GATE MOS FET プリアンプ II (3)

   組みあがったのでアイドリングとDCオフセットを調整する。安定度は素晴らしい。

 

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  音は一号機より若干良くなっている。2V以上出力すると終段の石が壊れるので測定は止しておく。

すでに一組壊してしまった。

 

 

山田太一 ドラマ 5年目のひとり (2016)

  山田太一の最終作かもしれないこのドラマのテーマは福島、老人ホーム、今どきの女子中学生である。少し地味な女子中学生の亜美は学園祭でリズムダンスを披露するがそれをじっと見ている中年男性がいた。眼光はギラギラと輝き異様な雰囲気である。この男性(渡辺謙)はどこからかやって来てこの地のパン屋でバイトを始めたばかりのようだ。男は学園祭の帰り道の歩道橋で亜美を待ち伏せして君は一番だったよと声を掛ける。不審に思いながらも嬉しかったのか家に帰って母親に話す亜美。母親は警察に通報してたちまち事案となる。母親と娘にはちょっとした確執があるようだ。だが亜美は親切にも男の働くパン屋を訪ねて行って事案になっているよと教えてあげる。ここからなんとなく交際が始まる。

  この無理無理な設定をサポートしているのが老人ホーム手伝いの京子(市原悦子)である。嫌がる店主を言いくるめてパン屋のアルバイトに就かせたのは彼女であるし各所でアドバイザー的な役割を果たす。亜美と甘味処で会っているとき男は亜美が亡くなった自分の娘に瓜二つだと告白する。ドン引きする亜美だがそれでもまだ男と関わり合いを続ける。同級生らと男のアパートを訪ね津波で亡くなった家族の写真を見せてもらい涙する。

  この事を亜美の同級生から聞かされた父の満(柳葉敏郎)は妻とパン屋を訪ね店主にクレームを入れるがそこへ男が現れる。気まずい雰囲気になるが男は謝罪して今後一切娘さんには近づかないと約束する。

  亜美には軽薄そうなタメ口の兄がいてよく口論するが彼にこの事態の打開を頼む。兄はパン屋をアポなしで訪れて不躾な事を幾つか言い男をムッとさせるが、少し打ち解けてから妹ともう一度会ってくれときり出す。だがそれは無理な話だ。男は福島に帰る事になる。最後にパン屋に店主、退院してきた店主の妻、男、京子が参集するが本音をぶつけ合うような送別会は無し。男は帰り道で京子と話しているうちに慟哭する。福島に帰る日男は歩道橋の下で亜美と待ち合わせし道路の向こうからありがとうと言って消えていった。

  淡い恋のような終わり方だったがテーマとしてはどこか違和感がある。多くの当事者が現状復帰できずにもがいている状況でこの男は援交のような事をして癒されていたのである。作者はこういうのも有りと言っているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BSドキュメンタリー 虐殺を越え”隣人”に戻るまで(2017)

  ルワンダ虐殺から23年経ち首都のキガリでは経済発展が続いている。道行く人は綺麗な身なりをしツチ、フツの区別はもう無く我々はルワンダ人だという。その一方でニャマタ虐殺記念館には犠牲者の衣服や装身具、頭蓋骨が残されている。ここは元教会でフツの人が一万人避難してきたがツチに一網打尽にされ虐殺されたのである。 


  フイエの大学で平和学部を立ち上げた佐々木和之氏(51)は学生達に過去の経験を語らせるという授業を行っている。ある学生は佐々木氏の言葉に導かれて父を殺された体験を語る。このとき佐々木氏は照明を落とし蝋燭を灯すという演出をしている。この授業の目的は癒しを得ることだと言う。

  今度は車で6時間の村に妻と学生達を連れて向かう。佐々木氏はここで養豚場を立ち上げ村人に働いてもらっている。被害者のサラビアナ(55)は手と顔にナタの傷が残っている。これによって結婚もできなかったと言う。隣人だった加害者のアンドレは刑務所に入ったが今は出てきている。その時の状況を語る。軍隊がやってきてツチを殺せと脅したのだと言う。

  二人から個別に話を聞いた後、佐々木氏は加害者達を集め謝罪の会を開くと言う。3日後の2時に会が開かれた。アンドレに状況を語らせ、サラビアナが思っている事を話す。二人は幼馴染である。サラビアナが追及するとアンドレは一言も言い返せない。すぐ会はお開きとなった。しかしアンドレの申し出で5日後に佐々木氏の立会いの元もう一度対面する事になった。この時はサラビアナの口調も少し和らいでいた。

  佐々木氏の元で平和学を学んだ学生が各地で活動を始めたと言う。よそで同じような事をやるのだろうか。人付き合いが苦手そうな佐々木氏の表情と天真爛漫なルワンダの人の顔が印象的なドキュメンタリーである。NHK的なキーワードが散りばめられた気持ち悪い構成の番組だ。