東洋文庫 明治東京逸聞史 (1969)

著者の森銑三は明治・大正・昭和を生きた愛知県出身の文筆家で膨大な著作がある。この『明治東京逸聞史』も資料に基づいて書かれており時代を正確に写したものになっている。

冒頭の文章を紹介する。

《 慶応四年・明治元年

慶応四年は、鳥羽伏見の砲声に明けた。幕軍の敗北に依って、天下の大勢が定まった。官軍が錦の御旗を翻して東下する。 江戸城の明け渡しは、事なく済んだ。ついで上野の戦争があったけれども、それも一日で片が附いて、市中は安穏に帰した。

(略)

十月、天皇御東下のことがあり、市民達は、お若い天皇様をお迎え申上げた。しかしまだ東京が、帝都と定められたのではない。天皇には、年の内に京都に還御あらせられた。

丸の内 〈斎藤月岑日記(別本)〉

この年の夏頃から、大名方は悉く在所へ引込んでしまった。それで丸の内には、草が生い茂っている。辻番所は、非人の寝場所となっている。 そうしたことを、斎藤月岑が書いている。当時の東京の寂しさが思いやられる。

(略)

東幸 〈同上〉

この年、江戸は明治天皇の東幸を迎え奉ることとなった。天皇が関東へ御下りになるというは、有史以来、初めてのことだった。

上野の戦争 〈中外新聞慶応四・五・一六〉

(略)

折から一人の来客があって、語ってくれたのには、上野の屯兵御追討の儀が、諸藩の兵隊に布告せられた。それに対して、大久保一翁殿を始め、諸役人が憂慮して、今日未明に大総督府へ、御猶予の儀を出願なされたけれども、時はもう遅かった。上野では、今戦争が始まっている。これだけは実説だ。その外のことは知らぬという。

大雨が、依然として降り続いている。砲声が轟き、火の手はますます盛んになる。難を逃れる老若婦女が、道路にさまよい、悲しみの声が巷に満ちた。何れもあわてふためいて逃げてきた人達で、何を聞いても、確報は得られない。

そうして夕方になったら、砲声が止んで、官軍がおいおいに引上げて来るので、われわれも幾らか安堵した。しかし火事は激しくなる一方で、上野の山内にも、火の手が起った。中堂も、御本坊も、悉く焼けた。宿坊も半ば焼けたという。

戦争は、そうして大雨の中で行われたのだった。双方ともに難戦ではあったが、官軍の方は、つぎつぎと新手を差替え差替えして攻立てる。それだのに、屯兵には応援がないものだから、ついには敗走するに至った。分捕りの大砲小砲が頗る多いという。》

もっと紹介したいが本当に長くなるのでこのくらいで