東洋文庫 源頼朝 山路愛山 (1906)

市井の歴史著述家である山路愛山の「時代代表 日本英雄伝」のうちの第五巻に当たるのが本書である。この企画は日本全史を10人の人物を中心として書こうとするもので、本書では平将門の乱(939)から奥州征伐(1189)までを一気に読むことができる。文章の一例を示す。

第一章の四 奥羽、中央政府に対し一敵国足らんとす(一)

是時にあたりて奥羽は東北の日本に在りても特に中央政府を畏嚇すべき一勢力となりたりき。そは其土地の広さ日本に半ばすてふ大国にして富源開拓の余地多かりしのみならず(保歴間記)、当時日本に於ては唯一の金産出国として因りて以て上国の富を集むるに足り、騎兵を以て兵士の幹部とし戦争は多く騎戦たりし当時に於いては騎兵とともに欠くべからざる馬の産国として雄を天下に称するに足りしを以てなり。奥羽が沙金の産出地たりしは奈良朝の時代に始まり、(続日本紀)、爾後口碑と伝説とは共に奥羽の沙金多きことを示せり。則ち藤原頼長が其相伝の領たりし陸奥の五荘園に於いてすら高鞍本良には各金五十両、遊佐には金十両を課せしが如き、(台記)、鎌倉の時に至るまで奥州の貢金は朝廷の一財源たりしが如き、(東鑑)、安部頼時が良馬金宝を贈りて国守頼義の士卒を労せしが如き、(陸奥話記)、清原真衡が成衡の為に頼朝の女を聘して婦としたる時、貢衡の姑夫吉彦秀武出羽より出来り朱盤に金を高くつみ之を捧げて謁見したりと云うが如き、清衡の子、基衡が信夫荘司の罪を贖はんとして黄金万両を国守に贈りたりと云ふが如き、(十訓抄)、奥州の金商人が京と奥州の間を往返したりと云ふが如き、(平家物語)、西行法師が造東大寺料の沙金勧進として奥州に赴きたりと云ふが如き、(東鑑)、共に奥州が日本に於いて金産出国たりしを示すものなり。

この様に出典が記されておりほぼ歴史書でありながら通読しやすいものになっている。