東洋文庫 大本神諭 火の巻 (1920)

本書は大本教開祖出口ナオの御筆先を出口王仁三郎が編集したものである。御筆先とはいわゆる自動筆記によりひらがなで書かれたもので艮の金神が憑依したとされている。内容は終末論的な内容を含み社会批判、政治批判も見られたため教団は政府により弾圧された。本文の一部を紹介する。仮名遣いを一部変更している。

大正6年旧11月23日

(略)

日本は神の国、神が守らな治らぬ国であるのに、肝腎の一の番頭、二の番頭からさっぱり外国魂になりきりてしもうておるから、何時迄も世はコテゴテ致して治りは致さんぞよ。人民力でこの結構な神国の政治ができるなら、モチト立派に世が立ちては行けそうなものではないか。今の世の持ち方はまるきり畜生のやり方で、強いものが弱いものの汗油を絞りて、その汗と油で高い処へ上がって、 舌をペロリと出して見下ろしているが、それが悪魔の世と申すぞよ。これだけ世界に、上下懸隔がありては、何時になりてもこの世に口舌の絶えると言うことは無いぞよ。外国の真似ばかり致して、「これが開けた世のやり方」と申しておるが、何処が開けたのか。肝腎の開くべき所は二重三重に塞いでしもうて、開いてはならぬ神国の宝をばらかしてしもうて、二進も三進もいかんようになりて、途中の偉い鼻高が、毎年一と処へ国々からよって来て、結構なご相談や諍いを致して御座るが、下の何も知らん人民は良い面の皮じゃぞよ。昔からの暦を潰したり、神の鎮まる先祖代々からの御宮を、「金が無いから」と申して潰したり、神を相借家へ放り込みておいて、人民は昔の王も叶わんような家を建て、別荘を建て、金ばかりを重宝がり、「金さへありたら神も糞も要るものか」とエライ慢心と取り違えを致しておるが、こんな無茶な、天地を畏れぬ外国魂の畜生のやり方は、神は何時迄も許す事は出来んから、皆それぞれに覚悟を為さるがよかろう。

(略)