フォークナー短編集 (9)

「孫むすめ」まで来た。何だか読んでもちっとも頭に入って来ないので、部分的精読から入る。

《りっぱな容姿の種馬に乗って、農場を駆けめぐるのを見かけたものだった。その瞬間だけは、彼の心は平静になり、誇らしくもなった。つまり、彼にはこんなふうに思われたのである。聖書の教えるところによると、畜生として、また、あらゆる皮膚の白い人間の奴隷として、神がつくり、かつ、のろったはずの黒人が、彼や彼の身うちのものよりも金まわりがよく、住居も上等で、着るものまでりっぱであるといったようなこの世の中などーー彼がいつも自分のまわりに黒い笑いのあざけるようなこだまを感じとっているこの世の中こそ、じつは夢まぼろしにすぎず、現実の世界とは、彼自身のものであるこの孤独な神のごとき人間が、黒い純血種の馬に乗って駆けてゆくこの世界に他ならないのだ、というふうに。》

こう考えているのはワッシという沼地の小屋に住んでいる白人である。文章を熟読すると、時代の背景やら普段から受けている仕打ち、彼の思っていることがわかってくる。

さてサトペン大佐は南北戦争から帰ってきて、すでに妻は病死、息子は戦死しているという状況だった。もう少し精読してみよう。

《「やつらをバラしてしまえ!」と彼は叫ぶのだった。「犬畜生は犬畜生らしく、ぶっ殺してしまえーー」

「まったくだ、大佐。まったくそのとおりだよ、大佐」と、倒れかかるサトペンを抱きかかえながら、ワッシはいうのだった。それから彼は、通りかかる最初の荷馬車を徴発するか、荷馬車の来ないときには、いちばん近い隣人のところまでまる一マイルも歩いていって荷馬車を借りてサトペンを屋敷に連れもどし、相手が雄馬か、種馬そのものでもあるかのように、だましことばをつぶやきながら、サトペンを歩かせては、家に入ってゆくのだった。娘が彼らを出迎え、一言もいわずにあけたドアをおさえている。かつてはヨーロッパからすこしづつ買い入れられた、欄間のついている、白い格式ばった玄関だったが、いまではガラスのなくなった枠の上に板を釘づけにしてあるところから、ワッシは彼の重荷を運びこみ、すっかりけばのぬけているビロードのじゅうたんを踏み越え、いまではペンキの消えかかった二筋の手すりのあいだにある、はだか板の亡霊にすぎない本建築の階段をあがって、寝室にはいる。そのころには、いつもすでに黄昏時になっている。そして、彼は重荷をベッドの上に大の字に寝かせ、着ているものを脱がせると、そばの椅子に静かに腰をおろす。しばらくすると、娘がドアのところへやってくる。「もう大丈夫でがすよ」と彼は彼女に告げる。「しんぺいするでねえだよ、ジューディスさん」》

このように落ちぶれた大佐は、街道に建てた小さな店で日用品を売り生計を立てているのである。ワッシは番頭役である。

さてこのような生活を続けているうちに、ついにワッシは勇敢なサトペン大佐の義祖父になってしまったのである。こういうスキャンダルだったのかという感想が生じる。だがまだまだ続きがある。