息抜きにカンガルーノートを読んでみる。1991年刊の安部公房の小説である。
新聞記事より
廃駅の構内で死体が発見された。脛にカミソリを当てたらしい傷跡が多数見られ一見ためらい傷を 思わせたが、死因とは認めがたいとのこと。事故と事件の両面から調査をすすめ、身元の確認を急いでいる。
どうということもない三面記事の背後に、シュールな現実が広がっている様を描くというのが安部公房の小説の常套的な手法だが、今回はあまり気合いが入っていないようだ。末尾に付け足しの様に新聞記事が提示してある。
『早朝の街を点滴に繋がれた重病患者がベッドのまま散策するという詩的でシュールな光景』が登場するまでに費やされるページは文庫本でだいたい20ページである。『変哲のない日常から意外な事柄が連続し、気が付いた時はそうなっている』というのを上手に書く為には、どの様な事にもケチをつけられる感性と、何にでももっともらしい科学的説明をでっち上げられる博識が必要とされる。その様な小説家は中々いない。
そして主人公のみじめな姿を見た時の一般人の反応、お役人の反応を描き分けるまでがセットとなっている。引用文を《》で示す。
《若い女が小走りにすれ違ったが、怪訝な表情でベッドを眺め、点滴用の支柱を見上げ、ぼくの顔をちらと覗き込んだだけだった。まあ、そんなものだろう。》
工事現場の巡回員の反応。
《「危ないな、ここだってあと一時間もしたら、トラックの出入りの邪魔になるんだよ」言われてみると、確かにここは工事現場の前らしい。》
このとぼけた味はなかなかいいが、よく見るとベッドに荷札が付いていて「ほら、あんたは一種の宅配便かもしれないよ」と言われてしまう。シュールな笑いがこみ上げてくる瞬間である。この後に出てくる警官の応対はあまり面白くなかった。