映画 真夜中のゆりかご (2014)

  デンマークの湖畔の瀟洒な家に美人妻と住む善良でハンサムな警官アンドレアスと離婚して酒びたりの中年警官シモンが相棒を組む事件簿ストーリーとなっている。北欧らしく二人の上司は女性であり、監察医も女性医師で監督も女性監督である。そして二つの母性がテーマになっている。

  ソーフスという赤ちゃんの母親は売春婦で父親はDVをふるう麻薬中毒者である。赤ちゃんは汚れた服を着てミルクも与えられずネグレクトされている。ある日アンドレアスとシモン はトリスタンとサネの家に踏み込み暴力を振るうトリスタンをぶちのめして赤ちゃんを保護する。だが母親がジャンキーでは無くトリスタンが法律上父親で無いと言う理由からソーフスを施設に移すことは出来なかった。

  一方アレキサンダーという赤ちゃんはアンドレアスと美人妻アナによって大事に育てられていた。だが少々奇妙な点がある。必ず夜中にアレキサンダーがぐずりだし車に乗せると安心して眠るのである。或いはアナがベビーカーで散歩すると落ち着くのである。又アナは普段は物静かだがちょっとした言葉に反応して激しく相手を罵る姿も見せる。

  ある夜アナが目を覚ますとアレキサンダーが呼吸していない。アンドレアスが蘇生術をしながらアナに救急車を呼べと言う。赤ちゃんの突然死はよくある事だがアナは救急車を呼んだら自殺すると言う。ここから話の方向が大きく変わる。アナは狂気モード、アンドレアスは実存モードとなり暴走する。アンドレアスはアナを眠らせた後トリスタンのアパートに忍び込み赤ちゃんを取り替えてくるのである。この後ちょっとシュールなコントのような展開になるが結局アレキサンダーは森に埋められトリスタンは赤ちゃんが誘拐されたという狂言を演じる。駆けつけた警官がアンドレアスなのでシュールな取り調べになる。

その後アナは赤ちゃんを残し自殺する。取り残されたアンドレアスは祖父母に来てもらって赤ちゃんを育てるが程なくして埋められていた赤ちゃんの検死結果が出た。結果は揺さぶりによる急死だった。アンドレアスは見抜けなかった自分を責める。最後は立ち直ったシモンがアンドレアスを諭して事件が解決する。

  亡くなった筈の赤ちゃんが再び手元に帰ってきた時の天にも昇るような心地をサネが演じ、目を覚ますと赤ちゃんが生き返っていたが別の赤ちゃんだったという絶望感をアナが演じている。この映画は社会問題を織り込んだサスペンス仕立てになっているが主眼はここの映像表現にある。かなり成功していると思う。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画 神々と男たち (2010)

  ある修道院の早朝の祈祷、学課の映像が映し出されるが程なく現代の話であることがわかる。修道士は村に溶け込んでおり畑仕事、墓地の修理、ハチミツの販売、これが一番重要なのだが無料の医療奉仕を行っている。担当は老医師のリュックである。村人に教えているのはキリスト教イスラム教をミックスしたような聖歌であり院長のクリスチャンが工夫したもののようだ。修道院は自給自足でやっており財産はなくわずかな薬品ストックがあるだけである。


  ある日村の近くでクロアチア人労働者が武装勢力に殺害される事件が起こる。キリスト教徒だけを狙ったテロである。ここは何処かというと内戦中のアルジェリアなのである。アルジェの南90kmのアトラス山脈の麓にあるトラピスト会の修道院が舞台である。武装勢力が迫ってくる状況で院長のクリスチャンは決断を迫られる。だがクリスチャンはみんなの意見を聞いた後結論を先延ばしにする。各自の意見がまたバラバラで本国に帰る、残る、わからない、隠れると言う。みんなそれなりの人生経験を積んでいる人達だ。

  結局村人を見捨てることができず残る道を選んだ面々はある夜最後の晩餐を微笑みながら摂るのだが明け方に武装勢力に急襲され二名は逃れたが七名が連れて行かれる。七名は二ヶ月ほど人質にされ捕虜の交換交渉に使われたが結局山中で斬首された。イスラム武装勢力の発表では1996年5月21日の事である。ティビリヌの修道士殺害事件として知られている。

  風光明媚な山脈の麓に広がる農村地帯、フランス民家風の質素な修道院、聖歌の歌声、なかなかリアルに構成されている。軍のヘリと空爆後の街の映像もちょっと出てくる。真実を追求し再現した素晴らしい作品だ。

 

 

 

 

 

 

映画 ビッグリバー (2005)

  冒頭にナショナルジオグラフィックに出てくるような荒野の雄大な映像が出てくるがこれはイマイチである。ポンチョを着た若い男(オダギリジョー)が歩いて国境を越える。主人公のテッペイである。アリゾナの荒野を彼は進んで行くがレンタカーに乗ったパキスタン人のアリが立ち往生している。テッペイが車を直してやるが今度はガス欠になり結局ヒッピーの白人女サラの車で旅をすることになる。目的地はアリの元妻がいるフェニックスである。 


  すでにロードムービーだがこの旅の必然性が希薄なのと登場人物に世界観を述べさせているのはいただけない。アリら三人は元妻の居場所を突き止めるが元妻は復縁を拒否した。三人は旅を続けるが西部のゴーストタウンに来るとそこはテーマパークになっていてガンマンショーや映画の上映が行われていた。この辺のみ絵面が幻想的になっている。

  深夜のドライブで地元警察の検問に逢う。それほど意地の悪いものでは無かったがアリがだんだん興奮してくる。アメリカ人は傲慢だと言いテッペイを置いて車を走らせた。気の強いサラはアリを追い出してテッペイを探すが闇に紛れて見つからない。やがて夜が明け駄目男のアリが映し出される。浮浪者然としたアリに石つぶてが飛んでくる。誰かと思ったらサラとテッペイだった。三人は平和に旅を続ける。

  バスターミナルでお別れをしてアリは帰って行った。出来ているサラとテッペイは新婚旅行のような旅を続けるのか。やはりそうではなくテッペイは一人旅を続けるべくサラと別れる。しかしその直後テッペイは背負った荷物を投げ捨てサラの車を追いかける。どうなるかは映し出されず雄大な風景だけが映し出されて終わる。

  テーマはパキスタン人夫婦の揉め事、サラの女心、アメリカ国内のテロ対策、バックパッカーの享受する自由などであるがこの作品ではどれも通り一遍の浅さが透けて見えており秀作とは言い難い。これらのどの一つを取っても突き詰めて行くと深刻な事態を招くのが現実なのだから。

 


 

 

 

 

 

 

 

 



映画 君を想って海をゆく (2010)

   BS ドキュメンタリー 止まらないEUへの難民流入 (2015)の具体例のような映画だが色々とロマンチックな仕込みがある。

  イラクからカレーまで陸路逃げてきた美少年シモンはトルコ人による虐待のトラウマから普通にトラックで密入国出来ないという設定だ。ロンドンには恋人のミナが待っているが近々親戚の金持ちと結婚するという知らせが届く。シモンに水泳を指導するのは離婚調停中のビラルという中年男である。単なる水泳教室のコーチと生徒の関係だがビラルの方がだんだん深入りしてゆく。結局ビラルのウェットスーツで二度ドーバー海峡横断を試み二度目で死んでしまうという話である。途中ビラルからフランスで難民申請すればどうかという話も出たがシモンの眼中にはミナのことしかないのである。イギリスに渡った暁にはマンチェスターユナイテッドで活躍するはずだったのにこのような悲しい結末が訪れたのである。

  他にも同情を誘う設定がいろいろあるが実際の難民は人権もお金次第と割り切っているようだしこのような人情話は創作だろうなとつい思ってしまう。

 

 

 

 

東洋文庫 ティルヴァッルヴァル著 ティルックラル 古代タミルの箴言集(5世紀頃)

  本書はタイトルの通り5〜6世紀に成立した南インドタミル地方の文学で作者はジャイナ教徒ということになっている。ジャイナ教の教えに従っているので言っていることは仏教とよく似ている。

ちょっと変わったところでスパイの事を述べた章がある。

  実態をスパイを通じて探り、明らめることのできない王は、勝利を得ることはできない。

  疑いを抱かせない風体をし、恐怖に震えることなく、いかなる場合でも明かさないことに長けているのがスパイである。

  スパイが互いに感知されないように王は計らうべきである。三人の言葉が一致したなら信じられる。