映画 ぼくたちのムッシュ・ラザール (2011)

  フランス語が飛び交う清潔な感じの小学校でのお話。子供たちは雪の中で遊んでいる。牛乳当番のシモンがいつも通り教室に行くと担任の女教師が首吊り自殺していた。真っ先に見たのはシモンである。アリスも窓から覗き込み見てしまった。早速カウンセラーが手配されテキパキとPTSDの対策を取る。後任の教師はというと新聞記事を見て売り込みに来た難民申請中のラザールという胡散臭い男が上手い弁舌で後任に就く。

  アルジェリア出身のラザールは昔のフランス語教育を受けているので児童との間に若干の齟齬が生じている。バルザックの文章の書き取りやら古い文法用語を教えるので超優等生の子から指摘されて戸惑う場面もある。アリスはラザール先生になついている感じだがシモンは問題行動を起こすようになる。決定的になったのはシモンが女教師の写真に首吊りの落書きしてポケットに入れ持ち歩いていたのが先生にばれた事である。

  ラザールは授業を通してこの問題をみんなで考えようとして児童らに作文を課す。アリスの作文に反応したシモンは担任の先生の自殺はぼくのせいじゃ無いと叫ぶ。抱え込んでいたものを吐き出した格好になる。校長とカウンセラーの方針の真逆をやったラザールは責任を取らされて首を言い渡される。校長もとばっちりで異動となるようだ。ムッシュ・ラザールの最後の授業はみんなで寓話を作ろうというものだった。先生の作った寓話は自分の苛酷な体験を基にしたほろ苦いものだった。

  愛の教室クオーレのカナダ版と言えるだろう。女性の社会進出、PTSD、難民問題なども絡んできてこちらはちょっと複雑である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東洋文庫 ニコライ・A・ネフスキー 月と不死 (1920年頃)

  著者は1892年ヴォルガ河畔の古都ヤロスラウリ市で生まれペテルブルグ大学の東洋語学部に進学する。中国語と日本語を学び官費留学生として2年の予定で日本に留学する。民俗学の手法で遠野、アイヌ宮古島、台湾の曹族、西夏の研究を精力的に行い論文を残している。日本人の妻を娶り娘が一人いる。ロシア革命が起こり帰国が遅れたが友人たちの尽力でレニングラード大での教職を得ることができた。その後の消息はどうやらシベリアに送られ家族全員粛清されたらしい。この本には著者の日本語による論文と書簡の日本語訳が収められているがその流麗な文からネフスキーは只者では無いことがわかる。月と不死は雑誌「民族」に掲載された論考で日本人の月に対する独特の感性について述べたものである。


映画 冷たい熱帯魚 (2010)

  冒頭と結末にオリジナルのストーリーが付け加えられているが中身は1993年の埼玉愛犬家連続殺人事件の再現映画である。主犯の夫婦は現在死刑囚だが共犯の男が出所して手記を出版しているので映画もなかなかリアルに再現されているようだ。

  主人公の社本がサイコパスの村田に取り込まれ死体解体を手伝わされるまで一気に進んで行く。村田は顧客に大金を出資させては殺してゆく手法をとりながら店を経営していた。契約が終わると毒殺し山中にあるアジトで解体し肉は刻んで川に、骨は灰にしてから山林に投棄する。この事を村田自身はボディを透明にすると称している。これで過去に何十人も殺してきたのだという。

  一方社本は小さい熱帯魚店を経営しながら後妻の妙子と不良娘の美津子と暮らしていた。二人ともボスについてゆくタイプの女なので真面目な社本の事を心底舐めている。社本は戸惑いながらも村田について行くしかなく顧問の男と運転手を殺した後処理も手伝ってしまった。饒舌で陽気な村田は社本の事をいたぶりながら心理カウンセラーのような発言もする。結局追い詰められた社本は窮鼠が猫を噛むように主犯夫婦を惨殺して妻も刺殺するという結末になる。どっちがサイコパスか見せてやるという勢いである。さらに娘に対しては自分で生きて行けと言い残して自害するのである。しかし娘はひるむことなく高笑いして映画は終了した。大変優れた映画だが後味の悪さが結構後を引く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細呂木千鶴子 タクラマカン砂漠3,000キロの旅 (1988)

   著者はカメラマンらと共にまず出発点のトルファンへ向かう。ウルムチまでは飛行機でそこからトルファンまでは汽車かバスで3時間ほどの旅程である。トルファン駅に着くとホテルからの迎えがおりバスで市中へ向かう。トルファン賓館というイスラム寺院風のホテルに宿泊する。翌日は高昌故城へバスで向かう。途中に火焔山が見れる。高昌故城は高昌国(5〜7世紀)の都の跡である。城内には宮殿跡、仏塔跡などが見られる。4キロ北方にはアスターナ古墳がある。貴人の墓でありミイラと豊富な副葬品が出土している。東50kmの処にはベゼクリク千仏洞がある。西へ10km行くと交河古城がある。車師国の都の跡である。市内に戻り地下水道のカレーズとウイグル族の舞踊ショーを見学する。

  バスでコルラへ向かう。行程380kmのバスの旅である。山道に入り5時30分には峠で休憩した。カラシャール川を渡りボストン湖を過ぎコルラに到着する。コルラは南疆鉄道の終着駅である(当時)。コルラではバザールを見る。

  コルラからクチャへは380kmの行程である。バスで向かう。夕方オアシスで遅い昼食をとる。羊肉入りの焼うどんを食べる。キジル千仏洞、清真寺、亀茲故城、スバシ故城、クズル・ガハ千仏洞を見物する。

  アクスへは250kmの行程である。アクスはタリム河やアクス河が入り組んだ農業地帯である。ここからカシュガルへはさらに480kmの長い行程である。著者らは大変疲れているようだ。天山山脈を背にしながらバスは進む。

  カシュガルに到着する。イスラム教のエイティガール寺院と広場を見て宿舎に泊まる。翌日はハンノイ遺跡を見る。ここは仏教が盛んだった唐代の都市の跡である。円形の仏塔や四角い土塔が残る。この近くにカラハン王朝の遺跡が砂に埋まっていると言う。市内に戻り工芸品売り場で楽器を購入する。

  ホータンへ出発する。580kmの行程である。正午にはエンギシャールオアシスに着き午後3時にはヤルカンドに到着する。大きなヤルカンド河が流れておりバザールも規模が大きい。夜10時にホータンに着く。ホータンではシルク製糸場、絨毯工場を見学し、白玉河を渡る。翌日ホータンを出発しヨートカン遺跡を見る。ここの風景は日本の飛鳥に似ていると著者は言う。近くにはニヤ遺跡もある。空港に戻りウルムチへと向かう。

  この本では順路があり見所も網羅されている点でNHK特集のシルクロードより優れている。ただ仏教関連の遺跡を回っている割に壁画の写真などは無い。ここはNHK特集のシルクロードを見て補おう。


 

 

 

 

 

映画 デイズ・オブ・グローリー (2007)

  命の戦場−アルジェリア1959で見たフランス軍のえげつない殺戮から遡ること15年のお話である。この時はまだアルジェリアの兵士がフランスに忠誠を誓っておりナチスドイツ軍と戦うことになる。彼らはフランス語を流暢に話すがイスラム教徒のアラブ人でありベルベル人も加わる。イタリア戦線では勇猛に突撃しドイツ軍の砦を陥落させる。要するに突撃要員なのだ。続いてフランス南部に進軍しマルセイユに入る。この後ローヌ渓谷に転戦する。主人公はベルベル人のサイードでマーチネス軍曹に気に入られている。一等兵にしてやろうと言う。スナイパーのメスードは凱旋したマルセイユでフランス人の恋人ができる。だが転戦中に出した手紙は悉く検閲され彼女には届かない。  


  戦争も終盤になり、この自由フランス軍アフリカ部隊もライン川を突破する作戦に加わることになる。決死隊を募りドイツ軍の待つアルザス地方に送るのだがマーチネス軍曹率いる第7歩兵連隊がこの任務につくことになる。堡橋頭を守り後から来る米軍とフランス軍の被害を減らす作戦である。大尉は全員の褒賞を約束する。さて一行がロバに弾薬を載せて出発すると途中仕掛けられた爆弾にやられる。堡橋頭に到着したのは重傷を負ったマーチネス軍曹以下アブデルカダ兵長、サイード、メスード、弟を失ったヤシールの五人になっていた。

  いよいよドイツ軍が静かに現れる。アブデルカダらの必死の攻撃で第一波の部隊を殲滅するがバズーカ砲持参の第二波部隊に撃破されてゆく。メスード、軍曹、サイード、ヤシールは戦死する。全滅かと思った直後にフランス軍が現れアブデルカダが生き延びる。大尉はアブデルカダとの約束も忘れさっさと進軍していった。呆気にとられるアブデルカダだが事情を知る住民達がパラパラと拍手を送ってくれた。

  60年後老人となったフランス在住のアブデルカダは墓地に佇み戦友を悼む。アルジェリアはすでに独立しフランス政府はアルジェリア人への軍人恩給を停止した。