映画 追憶の森 (2015)

  ナショナルジオグラフィックに出てくるような広大な原生林が冒頭に映し出され程なく舞台は日本の青木ヶ原だと分かる。一人のアメリカ人が気もそぞろな様子でANAと新幹線を乗り継いで青木ヶ原の樹海に入って行った。ここに死にに来たらしいのだが理由は不明である。回想シーンで妻と不仲である事が分かる。男の名はアーサーと言う。腰を下ろし何か錠剤を飲み一息ついていると怪我をしたヨレヨレの中年男性が現れる。男は助けてくれ、家族の元に帰りたいというが死にに来たのだとも言う。 

  アーサーは男に帰る道を教えるが結局二人は迷ってしまう。アーサーは最初は元気だが崖から落ちたり鉄砲水にやられたりで瀕死の状態になる。二人で何とかテントにたどり着き火を起こして暖をとる。二人の会話の中でわかったのは男の名はタクミでサラリーマンだったということだ。この森は煉獄で霊がさまよっているが成仏すると花になって消えるとタクミはいう。アーサーの方は不仲だった妻が病気になり二週間前に亡くなったのだと言う。回想シーンでは脳腫瘍の手術後転院の為移送中に交通事故に遭うという設定だ。妻のいない人生なんてとつぶやきながらここまでやってきたのである。

  テントの死体が持っていた無線で山岳救助隊がやって来てアーサーは一命を取り留めるがタクミは森に残される。後でアーサーが訪れるがタクミのコートの下には死体は無く一輪の花が咲いていた。

まとまりは良いがその反面ファンタジーの部分がなんだか陳腐だし夫婦の不仲の描き方もワンパターンで底の浅い内容に思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルジェの檻 西野雅徳 著 (2012)

  本書は山陽製作所のプラント事業部と江藤商事が組んで(コンソーシアム)アルジェリアの鉄鋼公団(SNS)からアルミサッシ製造プラントを受注し現地でプロジェクトを進めている時に起こった事件の記録である。 

  1984年2月4日午前9時現地の私服警官4名が事務所を急襲し家賃の外貨払いの書類の提出を要求。プロジェクト契約書類、家賃書類、SNSのハムディ氏への支払い書類を押収した上、居合わせた安本係長を署へ連行した。6日には現地責任者の黒岩部長、10日には信濃課長が出頭し拘束された。著者の西野氏は当時監理課長のポストにあったがアルジェリア行きを命じられ7日には日本を出発する。

  ここからは一言で言うと泥沼の展開になるのだが長い格闘の末1987年12月31日に結審する。黒岩部長は経済法違反で禁固4年執行猶予4年となり信濃課長は外為法違反で禁固3年執行猶予3年、安本係長は無罪となった。日本との友好関係に配慮した公平な判決と思われる。日本アルジェリア協会会長の宇都宮徳馬氏の存在があったのは幸いである。

  事件の背景としてはあちら側は必ず賄賂を要求してくる事(SNSのハムディが慈善団体への寄付だと言って要求)、外貨が無いと欲しいものが買えない国の事情がある(家主が外貨支払いを要求)。これに対する会社側の対応が甘かったのである。アルジェリアの当局は真面目に仕事をしたと言えるだろうがラマダン1ヶ月、バカンス2ヶ月というのんびりした国柄である。フランス人弁護士は何だか悪意があるように見える。司法当局、大使館、外務省、社の上層部それぞれの思惑とメンツが交錯し最短コースを進む事が不可能になったと言うのがこの事件の実相だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画 月山 (1978)

  明は大学をドロップアウトして建設現場で働いていたが密教の教えに心を惹かれ月山の麓にある注連寺で一冬を越そうと考える。バスを降りると七五三掛という集落へと歩き出す。住職のいない注連寺は荒れ果てており大工上がりの管理人の太助が住んでいた。以前は参拝客で賑わった寺だが即身仏も火事で焼けてしまい村人がたまに集まって宴会を行うだけになっていた。明が即身仏の事を太助に尋ねると何だか変な反応をする。注連寺には一冬越すのに十分な薪と米があり二人は味噌仕立ての大根汁を食べながら日々を暮らす。文子という気立てのいい村の女が明に関心を持つが文子は祖母と二人暮らしでここを離れるのは無理である。明は連れて行って欲しいと文子に迫られるが態度を決めかねている。未亡人の加代にも迫られるが明は曖昧な態度しか取れない。

  ある日、明は即身仏の秘密を村人から聞かされる。行倒れになった死体をミイラにしたのだと言う。明は太助が自分を殺して即身仏にするのではないかと疑い始める。その他にも寺が賭場であった事、住職が博打に負け首吊り自殺した事も村人から聞かされる。男と駆け落ちした加代が二人で雪に埋もれて死んでいるのが見つかる。村人達はベナレス式の火葬をして二人を弔う。経を唱えるのは太助でなく村人の岩蔵である。やがて春が近づきツバメがやって来るようになると明は山を下りて外の世界へ帰って行ったのである。即身仏にもされず文子とも何もなくである。いや関係はあったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東洋文庫 ナスレッディン・ホジャ物語 トルコの知恵ばなし 護雅夫 訳(1965)

  15世紀頃に成立したとされるトルコの小噺集である。イスラム圏に広まった後、フランスをはじめヨーロッパ各国でも出版され人気を博したが日本では護雅夫氏の翻訳が単行本としては初めてである。

  ナスレッディン・ホジャという老師のような人物が主人公で、その活躍は天然でシュールな味を醸し出している。以下本書よりごく一部を引用して紹介する。

 ☆ ホジャが或る晩、夢の中で九文もらうたげな。ホジャは手を差し出して、少のうてもせめて十文にしてくだされい。とたのんだげな。たのむ拍子に目が覚めたげな。手の平にゃ何もない。
   慌ててもう一遍目を瞑り、

いや、諦めましたわい。下されい。九文でも結構ですわい。と言うたげな。

☆ 或る日連中が集まって、人間、若いときにゃ元気があって力も強いが、年とると、元気も力も無うなってしまう、と、喋り合うてたげな。ホジャはこれに文句付け、儂ゃ年とった今でも、若いときくらいの力があるわい。と言うたげな。どのくらいじゃ、と訊いたげな。

  儂が家にゃ、滅法でっかい石臼があっての。儂ゃ若いころ、根かぎりの力を出して持ちゃげようとしたが、ピリッとも動かせなんだ。今でも精一杯やってみる。相変わらずちょいとも動かせん。どうじゃい、儂ゃ年とった今でも、若いときぐらいの力があるんじゃ。
と答えたげな。

  西洋のジョークよりは日本の落語に近いが、こちらでは儒教の発想が皆無なのでいくらか自由な印象を受ける。

 

 

 

 

 

 

ゲルマラジオ

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  ゲルマラジオを低周波一段増幅で聴いてみた。北里大学の新村拓氏のお話だった。

  昔は高等女学校の家政学で看取りの技術を教えていたが今の家庭科では教えていないと言う。病院死を減らすための提言として高校の家庭科でそれを教えなさいと言っている。標題のほどほどの生とはほどほどの計画を立ててちゃんと生きて行けばいつ死んでも悔いは残らないのではという事である。