映画 愛と追憶の日々 (1983)

ラスト・ショー(The Last Picture Show)(1971)と同じ原作者の映画でどちらもアカデミー賞に輝いている。原作者のラリー・マクマトリーは只者では無い。ラスト・ショーではハイスクールの美少女ジェイシーが相手のデュエインをぺしゃんこに言いのめすところが実に印象的だった。テキサスの女は直情径行的なところがあるが深情けでもある。

愛と追憶の日々を見るのは2回目だがジャック・ニコルソンの怪演は置いといて美人の未亡人オーロラのぶっとんだ個性はジェイシーそっくりと思えそれが娘のエマにも受け継がれている。エマも美人だがその気の強さは少々裏目に出た様で息子に疎んじられ余りいい関係では無かったし夫のフラップも愛人を作って逃避する。エマが経済的な苦しさと子育て、引越しに奮闘しているうちにいつの間にか癌に侵されて世を去るという話である。死期を悟った後のエマの振る舞いはなかなか立派だった。

結局結婚に大反対だったオーロラの勘は当たっていた。テキサス女の相手は豪放で大胆でお金持ちの男でなければならない。ちょうど隣に越してきた宇宙飛行士のギャレットのような男がそうである。ただ今回演じたのがジャック・ニコルソンだったので気持ち悪かったというのもある。

東洋文庫 捜神記 (4世紀)

東晋の干宝が著した志怪小説集。20巻が現存する。東洋文庫には全20巻464話が口語和文で収録されている。どんな内容なのかいくつか抜き出してみる。

第1巻17 ふしぎな鴨

漢の明帝のころ、河東(山西省)出身の尚書郎王喬が鄴県の知事となった。この人は神術を心得ており、毎月朔日にはいつも県城を出て参内するのを習慣としていた。ところが、参内はたびかさなるのに、車も馬も見かけないので 明帝は不思議に思い、太史に秘密の命令をくだして喬の様子を眺めさせた。すると太史の報告では、王喬が内裏に到着するとき きまって一番(つがい)の鴨が東南方から飛んでくるという。そこで待ちぶせの手はずをととのえ、鴨が現れた時に網でつかまえたところ、網の中には靴の片方だけしかなかった。尚書省に送ってしらべさせると、それは四年前、尚書省の役人に下賜されたはきものであった。

原文

漢明帝時 尚書郎河東王喬 為鄴令 喬有神術 每月朔望 嘗自縣詣台 帝怪其來數而不見車騎 密令太史候望之 言其臨至時 輒有雙鳧 從東南飛來 因伏伺見鳧 舉羅張之 但得一雙舄 使尚書識視 四年中所賜尚書官屬履也

第2巻 45 死んだ妻をたずねた話

漢のころ、北海郡の営陵県(山東省)に一人の道士があり、人間を死んだ人と会わせる術を使った。妻を亡くしてから数年になる同郡の人が、その評判を聞き、たずねて行って、 「死んだ家内にひと目会わせてください。それができたら、死んでも思い残すことはありません」 と言うと、道士は、 「会いに行きなさるがよい。ただ暁を告げる太鼓の音が聞こえたら、すぐ外へ出なされよ。ぐずぐずしていてはなりませんぞ」 と、死んだ妻に会う術を教えてくれた。

すぐそのとおりにすると、妻に会うことができた。そこで妻と話し合ったが、悲しみと喜びのうちに、生きていたときと変わらぬ愛情をかわしあったのである。 やがて太鼓の音が聞こえた。夫は後ろ髪を引かれる思いであったが、止まるわけにはゆかず、戸口を出ようとするとき、ふと着物の裾が扉にはさまれた。そこで振りちぎって帰った。

それから一年あまりたってこの人が亡くなり、家族の者が埋葬しようとして墓を開いたところ、妻の棺に夫の着物の裾がはさまっていた。

原文

漢北海營陵有人 能令人與已死人相見 其同郡人 婦死已數年 曰 願令我一見亡婦 死不恨矣 道人曰 卿可往見之 若聞鼓聲 即出勿留 乃語其相見之術 俄而得見之 於是與婦言語 悲喜恩情如生 良久聞鼓聲恨恨 不能得往 當出戸時 忽掩其衣裾戸間 掣絶而去 至後歳餘 此人身亡 家葬之 開冢 見婦棺蓋下有衣裾

何故かYAHOO知恵袋でよく見かける教材である。

夢のオーディオシステム(16)

時折検証する。引き続きヘッドホンアンプは何が良いかである。

2SJ18を4本使った上條式ノンスイッチングSITアンプ。8Ω負荷で3W出る。元々パワーアンプとして作ったのでヘッドホンアンプとしてはオーバースペックである。

回路図を示す。

究極すぎたかもしれない。まろやか過ぎて少々物足らないところがある。勿論パワフルで極精細な描写である事は言うまでもない。

次に2SK79を4本使った負性インピーダンスSITDCアンプを聴く。

内部はこの様になっている。裏面に取り付けたNJM4580の付加回路がある。

明るく透明でパワフル。言うことなしのベストアンプだ。

最後に世にも珍しい負性インピーダンスHCAアンプを紹介する。

SITアンプ群と傾向はだいぶ違うがずっと聴いているとこれでいいと思えてくる。

JNNドキュメンタリー 子どもに忍び寄る”見えない紛争”の影 (2018)

ウクライナの首都キエフの独立広場の隅には遺影と花束が置かれている。2014年2月大規模な反政府デモが起こり親ロシア政権は崩壊する。これはそのときの犠牲者のものである。4月にはウクライナ東部で親ロシア派武装勢力が庁舎を占拠し独立を宣言する。これに対し政府はウクライナ軍を投入しついに武力衝突が起こった。

ユニセフウクライナ事務所のジョバンナ・バルべリス代表はこれは見えない紛争だと言う。何故そうなのか取材班はウクライナ東部へ向かう。国連安全管理担当者は言う。停戦違反が一日あたり35〜45回起きておりそれには戦車、多連装ロケット砲、大砲、地対空ミサイルが使われている。地雷も世界最悪レベルであるという。取材班は国連に協力してもらい防弾車で隊列を組みコンタクトライン(最前線)へ向かう。

マリンカ検問所を通過する。ウクライナ国境警備兵によるとここを一日に11000人、車2000台が通過すると言う。ここで取材する。ウクライナで年金をもらっている人がウクライナ東部にわざと住んで親ロシア派の年金を受給するという裏技があると言う。交通と社会インフラが機能している事が確認された。

取材班は防弾チョッキを装備してコンタクトラインの民家を訪れる。アンドレイ18歳が住んでいる。この家は5月に砲撃を受け父と弟は即死、母も死んでしまった。アンドレイは壊れた家を補修して住んでいる。この辺りには経済的事情で住むことを余儀なくされている人が多い。ウクライナ側にはコンタクトラインの5km圏内に19000人、15km圏内に5万人の子どもが住んでいる。ダルヤ17歳は戦争が始まった時の心境を語る。とても不安になり自分自身が無くなってしまった感じがしたと言う。無気力になったと言う。ユニセフは子ども達に発生するトラウマ、ストレス障害について警告を発している。学校で心理学セラピーも行なっている。

10km圏のバンドゥーラさん一家は当初は避難生活を送っていたが二年後に経済的理由から自宅で生活している。ソフィア6歳が菜園を見せてくれる。聞かれると将来は外科医になりたいと言う。心理学セラピストが語る。子どもにとっての問題は不安、集中力不足、イライラであると言う。生活の場を変えることもストレスであると言う。これらの実態から難民の発生が無いことの理由が判明した。

幼稚園では子ども達がお魚ごっこをしながら避難訓練をしている。1km圏内の学校では窓の外に土嚢を積見上げて授業を行なっている。壁はテープで色分けされそこが安全か安全でないかが示されている。地雷の特別授業も行われている。地雷危険教育スペシャリストのアリシャ・シバーさんは語る。子供は好奇心旺盛なため不発弾などの爆発物にやられやすいのだと言う。授業中にベルが鳴り子供達が向かったのは地下シェルターである。これは冷戦時に作ったものである。

ポパスナ第一学校には壁にブランコに乗る少女の大きな絵が書いてある。また国防教室では武器を陳列し国防について授業を行なっている。実は紛争前からこの教室はあったと言う。子供向けの軍事訓練キャンプ(ウクライナ2015年)の映像がある。突撃銃、手榴弾の扱いから白兵戦、応急処置についても学ぶ。子ども向けの愛国者クラブ(親ロシア派の映像)では女の子が格闘技、マシンガン、ガスマスクについて教わっている。愛国者クラブのおじさんはこれらは祖国愛教育であると言う。やる気満々か。

日曜洋画劇場 淀川長治解説 普通の人々 1986年5月18日放送分

はい皆さんこんばんは。今夜の作品は原名"Ordinary People"普通の人々、原名も邦題もおんなじですねえ。さあこの作品見事な内容を持ってますけれど、まず皆さんに申したい事はこの映画の監督がロバート・レッドフォードなんですよ。まあスティングがありますねえ、まあ愛と哀しみの果てがありますねえ、明日に向かって撃てがありますねえ、追憶がありますねえ、見事な俳優ですねえ。見事な俳優が自分で出ないで自分で監督したこれは作品ですね。しかも1980年のこの作品、この年にアカデミーの作品賞取りました、それから監督賞を取りました、それから脚本賞取りました。それから助演男優賞取りました。すごいね、一挙に4部門とったんですね。さあこの見事な普通の人々、この名作を今夜お贈りするのはこの日曜洋画劇場始まってなんと今夜は1000回に当たるんですね。これを記念致しましてテレビ局でどこもまだやってないこの名作を今夜皆さんにご紹介しましょうね。さあお父さんは弁護士、お母さんはいいお母さん、息子は17歳、いい家庭、普通の人々ですね。お父さんお母さんは結婚して21年目、息子は17歳、さあこの家庭にキャメラが寄って行きますとどんな中身か、どんな家庭か、お父さんはドナルド・サザーランドがやっております。お母さんはメアリー・タイラー・ムーアがやっております。いい舞台俳優ですよ。それから、息子はティモシー・ハットンがやっております。さあその家庭の中へキャメラが入って行きますと普通のいい家庭、いいパパ、いいママ、いい息子だのにこの3人の心配り、その家の中の神経、家庭の中身がだんだんだんだん怖くなってきますね。この17歳の息子の神経の使い方それも怖くなってきますね。というわけでこの映画は見ておりますと一つ一つが胸にささります。家庭の中の一つ一つがそうか、ああそうか、あれで、あれでいうことがどんどんどんどん私たちの胸に染み込んで参ります。そういう見事な地味な家庭の話をこのロバート・レッドフォードが監督したというところにもとっても面白い興味がありますねえ。これは1980年度の映画です。今夜はしっくりとしっくりと皆さんご覧なさいね。あとでまた会いましょうね。〜映画〜

はい。如何でしたか。あの朝ご飯食べるところでねえ、お母さんがあの息子にフレンチトーストだしますね。息子食べませんでした。そしたら、それを取り上げましたね。取り上げて、自分が食べるか、お父さんが食べるか或いは台所になおすか思うたらお母さんはそのまま冷たーく捨てましたね、全部、手をつけないで。きついね。あの辺りなんとも知れんお母さんのけつらて言うよりか、兄さんは好きだったけれどこの子はどうしてもいやだいう感じがあの一瞬で分かりますね。あの辺りの演出がいいですねえ。見事な監督のタッチですねえ。けれども後に今度は息子の方がお母さんに朝ご飯手伝いましょうかといったらお母さん要らないといいますね。ああいうことでこの家庭は本当にささくれ立って来るんですね。ほんの僅かなことでけれどもお母さんはいけませんねえ。兄さんが自分の上の息子が死んだということがずうーっと胸につかえてるんですねえ。さあそういう風に家庭というものがこんないささくれ立ってたら事件が起こりますね。ここで一番の問題はお母さんは悪い、お父さんももっとすぎにうたんといかない。いろいろありますけど実は、息子ですね。この17歳の息子がお母さんに嫌われてるとはっきり思って殻の中に閉じこもったことが私一番いけないと思います。もっとお母さんは理解してそうしてもっとお母さんとお父さんに明るく近寄ったほうが良かったと思いますねえ。はい、時間来ましたねえ。それでは次週の作品紹介致しましょう。〜Mr.レディMr.マダム2の予告〜

それでは次週をご期待ください、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

映画 七人の侍 (1954)

盗賊の襲撃を予知した村落が相談の末軍事顧問としての武士を雇って村落を守ろうとする話である。世界で見るとわりと普遍的なテーマかもしれない。3時間にも及ぶ長編大作だ。予め2時間を見ておいて最後の1時間は風呂上がりにビール飲みながら見た。

今回は雇われた武士のモラルの高さが際立っているがもし失敗すれば皆殺しになる陰惨な話である。つまり話の展開にユーモアの要素が無いと重苦しいだけの映画になるのだが幸いユーモアは満載である。特に農民出身の菊千代(三船敏郎)のキャラクターが皆の笑いを誘うのである。リーダーの勘兵衛(志村喬)は腕も立つし軍師として軍略にも長けている。飄々とした風格があり慕ってくる武士が良い働きをするのである。

一方の盗賊団はモラルに欠けるとは言え武士の端くれである。種子島3丁を持ち騎馬から弓を射掛けてくる破壊力は抜群である。そこで一騎づつ呼び込んでは入り口を塞ぎ取り囲んで落馬させる方式をとる。勘兵衛の作戦である。これが功を奏し農民側の被害は最小限で済み盗賊を全部殲滅した。武士の死者は四名となった。大勝利だが四名の墓碑を見ながら言った勘兵衛の言葉がふるっている。近くにいた七郎次(加東大介)がえっと驚いたくらいである。

若武者勝四郎(木村功)と村娘との恋もあるし琵琶法師、田楽踊りと民族音楽も収録してある。エンターテイメント性と学術性も兼ね備えてあるというモンスター映画である。