ニュース記事、文書、インタビューを駆使して国の中枢が何をやっているかを解明しようとした良書である。読んでゆくと戦前の政府のやり方を踏襲しているだけのようにも思えるが、政治家の質は昔の方が良かったのではないだろうか。
本文を一部紹介する。
『このときの「矢野質問」の顛末については、毎日新聞の連載『金権』の第十回から第十六回の計七回にわたり、「消された議事録」のタイトルの記事でまとめている(1983年8月5日付け朝刊ー同月12日付け朝刊)。
なぜ「消された議事録」かというと、公明党の矢野絢也によって、この自民党の国対費を取り上げた質問が、後に「不穏当な質問である」と自民党側から猛抗議が出され、予算委員長の職権で、議事録から削除されてしまったからである。裏を返せば、政府・与党としては、この問題はそれだけ触れてほしくない「タブー」だったわけである(当時、自民党の国対費については、共産党ですら追及していなかった)。
この毎日新聞の記事によると、社会党参議院議員だった加藤シズエは、当時、党内では数少ない日韓条約賛成派で、この日韓国会中、外務委員会で、ソウルに総領事館を置くかどうかで採決を取ったことがあった。
加藤は党から特段の指示を受けていなかったため、「賛成」の起立をすると、同僚の社会党の議員も釣られて立ち上がったため、委員長を努めていた自民党の議員が突然、速記を止めさせ、社会党理事に「ここでは社会党は反対するハズだが、どうなっているんだ」と問いただす場面があった、という。
こうした光景を受けて、加藤シズエはこう語っている。
「このころ、昼間は反対を叫びながら、夜になると自民党と酒を飲みに行く人が何人もいた」実際、このときの日韓国会では、「自民党が強行採決する」という情報が流れたため、社会党の秘書団が本会議場や委員会室の前でピケを張ったことがあったが、国対委員長の指示で、「もう話がついた」とピケが解除させられたことがあった。
こうした“妙な動き”を繰り返していた社会党議員の行動のウラについて、ある社会党職員は、この毎日新聞の連載記事の中で次のように証言している。
「社会党のだれが、どこの料亭で自民党のだれと会い、“オレのところは、何日ごろこれこれの法案を出す“ “それじゃあ、オレのところは、何日間寝るヨ(審議を拒否する)“と裏取引する。そんなことは全部、知っている。しかし、この種の話はカンオケまで持っていく話だ。』
やっぱり、空気を読まない人の方が、いい働きをする。毎日新聞も昔は随分硬派だったようだ。