東洋文庫 明治大正史 世相編 (1931)

朝日新聞社によって企画・刊行された本書は当時朝日新聞論説委員だった柳田國男の書き下ろしであり、独創的で味わい深い作品になっている。冒頭ではこのような趣旨を述べている。<世相とは時代の変わり目で一変するが、目に見える色、耳に聞こえる音で気づくものである。時代は変われど人々の努力は衣食住に傾注されるものでありそれらを取り上げ整頓して行く手法をとる。>という事で第1〜3章では衣食住について書かれてある。第4章からは原文を見て行く。

第4章 風光推移

5 峠と畷

(略) 山城の京の始の頃には、官道の傍には果樹を栽ゑよという布令があつた。是れはなつかしい事だが、竝木として遠く栽ゑ列ねたわけでも無かつたろう。今でも山越えの路には折として栗胡桃や山梨の老樹があつて、やはり旅人は其陰に入つて憩うて居る。竝木の必要なのは斯ういふ山路では無かつた。広い平野を横ぎる時に、殊に風除け日除けの恩恵は大きかつたのである。長い畷の退屈を破る為にも、一本一本に癖のある松の木は似合はしかつたが、それよりも更に必要なのは霧の日吹雪の日に、之を目標として路を辿ることであつた。 (略)

6 武蔵野と鳥

(略) 横浜では明治の初年、始めて洋館なるものが出来た際に、沢山の小鳥が飛んできて硝子戸に突当たり、落ちて死んだといふ記録が残つて居る。蝿や虻などが今以て窓に苦しんで居る通り、斯んな明るい透明な空と同じ物が、突如として進路を遮断した意外さは、所謂外国文化の比では無かつたのである。 (略)

第11章 労力の配賦

2 家の力と移住

(略) 移住は明治大正を通じての、今までに無かつた大きな現象ではあつた。移住は出稼ぎと全く異なり、多くは一家が故郷を離れるので、人家の代替りやその流離といふ一つの刺激が必ず伴なふ為に、人は之を不幸と考へたが、実は多くの移住は亦事実出稼ぎの心持で行はれたのである。尤も旅などをしてゐる間に、広い原野を見た者は、碌に耕す場所もない故郷の様と思ひ比べて、それから此処に移住しようと云ふ決心を付け、妻子を伴なうて来たものもあつたかも知れぬが、それにしても一応は自分一人だけが瀬踏みにやつて来たであらう。 (略)