韓国に脱北した北朝鮮工作員の自供から13歳の日本人女性が北朝鮮に居るという情報がもたらされる。第二の情報は元工作員の安明進からもたらされた。彼は1988年10月に横田めぐみさんと会ったという。ソウルオリンピック前の1983年に大韓航空機撃墜事件が起こる。このとき逮捕された工作員金賢姫の供述より日本人の教育係の存在が明らかにされる。1997年には国会で一連の行方不明事件が北朝鮮による拉致事件であると認定された。このことで拉致被害者家族会の活動が活発になる。だが政府も外務省も動こうとはしない。北朝鮮はラジオ放送で拉致を捏造であると否定した。
卒業式でめぐみさんが歌ったというシューマン作曲「流浪の民」の慣れし故郷を放たれて夢に楽土求めたりという独唱のフレーズがいやにこの事件と符合する。単なる偶然なのかそれとも学校関係者が知っていてこの曲を選んだのか。
拉致被害者家族会が自民党本部の前で北朝鮮への米援助反対の叫びの声を上げる。立ち寄った議員と言い合いになる。当時の森総理は口だけの約束をする。2002年9月小泉首相が金正日と日朝首脳会談を行い援助と引き換えに拉致の事実を認めさせた。五人の生存、八人の死亡が公表され横田めぐみさんは死亡と発表された。日本政府の調査団がめぐみさんが死亡したとされる病院のカルテを調べるが少し不自然な点もある。
2004年5月とうとう五人が帰国する。ビデオでキム・ヘギョンを見た横田早紀江は自分と似ているといい彼女からラケットなどの遺品とされるものを受け取った。水産の仕事を辞め社会活動家になっていた増元るみ子さんの弟増元照明さんが2004年7月の参議院議員選挙に出馬するが落選する。2014年にも衆議院議員選挙で落選する。
2004年11月めぐみさんの遺骨が北朝鮮より提出される。政府はDNA鑑定を行い遺骨は偽物と断定する。これを受けて横田滋氏は抗議声明を発表した。銀行を退職後川崎のマンションに引っ越し家族会の会長を務め多忙だった横田滋さんだが、何故かネクタイの結び方を撮られていたのが印象に残る。