アレクサンドロス大王東征記 アッリアノス著 (紀元2世紀)(1)

この本を読まないわけにはいかない。一番面白いところを抽出する。

第3巻のまとめ

まだカブール側に居たアレクサンドロスの軍勢はベッソス追撃の為ヒンドゥクシ山脈を越えバクトラを目指す。その途中町を建設してアレクサンドリアと命名した(おそらくバグラム)。この辺りに限って言えば山の大部分は樹木も生えていない。しかしそんな厳しい環境でも、ここには多くの人々が住みついていて、たくさんの羊や牛の群れが放牧されている。

アレクサンドロスはドラプサカ(クンドゥズ)に到着すると、そこで将兵に一息いれさせたあとさらに、バクトリア地方最大の町であるアオルノスとバクトラに向けて軍を進めた。これらの町を一撃のもとに攻略する。アレクサンドロス自身はさらにオクソス川(アムダリヤ)へと進軍した。オクソス川はその流れの源流をヒンドゥクシ山中に発しておりヒュルカニア地方の大海(カスピ海)に注いでいる。苦労して渡河するとベッソスの身柄はすでに拘束されておりプトレマイオスが引き取りに行きアレクサンドロスの前に差し出された。ベッソスは鞭で打たれたあと尋問されバクトラに送られた。

アレクサンドロスは現地の馬で騎兵隊を補充するとソグディアナ地方の王宮があるマラカンダへと軍を進めた。次いでアレクサンドロスはマラカンダからタナイス川(シルダリヤ)の線まで進出する。糧秣調達のため遠くまで出かけていた若干のマケドニア人たちが、現地民によって斬り殺されるという事件が起こる。住民たちは険しい山中に隠れてしまった。その数3万という。マケドニア軍は幾度も反復攻撃をかけたがこの時アレクサンドロス自身脛を貫通する矢傷を負う。しかしさらなる攻撃の結果砦は壊滅する。生き残ったのはわずか8000人に過ぎなかった。