失われた時を求めて (90)

囚われの女アルベルチーヌに関する長〜い話の中にこの様な記述が出てくる。以下引用文。(吉川一義訳)

《それはまだ私がアルベルチーヌと面識がなかったころ浜辺で、私とは犬猿の仲であったある婦人、いまの私にはアルベルチーヌと関係をもっていたことがほとんど確実に思われるその婦人のそばにいたアルベルチーヌが、私を横柄に見つめながらはじけるように笑ったことだ。まわりには滑らかな青い海がさざめいていた。(略)このような恥辱、嫉妬、当初の欲望や輝かしい背景の想い出が、アルベルチーヌにふたたび昔の美しさと価値を付与したのである。》

この様に手の込んだやり方でしかアルベルチーヌを愛せないプルーストだが、ブローニュの森までドライブした帰りに、満月を見ながら、アルベルチーヌを所有する安堵感を味わったりするのである。

プルーストは嘘を見破る術も心得ているようだ。

《本当らしさとは、嘘つきがどう考えるにせよ、けっして本当のことではない。本当のことに耳を傾けている最中、なにか本当らしく聞こえるだけのこと、もしかすると本当のことよりも本当らしく聞こえること、もしかするとあまりに本当らしく聞こえることを耳にすると、多少とも音楽的な耳の持ち主なら、規則に合わない詩句とか、べつの語と間違えて大声で朗読された語とかを耳にしたときのように、これは違うと感じるものだ。》

第10巻の最後にはベルゴットの死についてページが割かれている。プルースト得意の医学の薀蓄が披露されている。