東洋文庫 ペルシア民俗誌

コルスムばあさん(A・J・ハーンサーリ著)と不思議の国(サーデク・ヘダーヤト著)の合本である。成立年代は前者が17世紀後半、後者が1933年となっている。A・J・ハーンサーリはイスファハン在住の法学者、ヘダーヤトはテヘラン在住の作家である。

コルスムばあさん

五人の女性のウラマーイスラム法学者)が日常における事例を挙げて女性がどの程度戒律を守るべきか論じている。事例とは例えば沐浴、祈祷、断食、結婚、初夜、出産、風呂屋、器楽、夫婦、料理、護符、身内、来客、縁組姉妹の事である。まず沐浴は義務行為であると論じ、除外されるべき例を挙げている。ヘンナで皮膚を染めた時、夫の浮気が疑われる時、夫が物を買ってくれない時などがそうである。こういう時は一定の期間沐浴が免除される。

祈祷が免除されるのは結婚式の日、楽器の奏者が居るとき、着飾って居る時などがそうである。結婚においては義務行為、忌避行為、奨励行為、重要事項について述べられている。「花嫁の服にはどこにも結び目があってはならぬ。何故なら結び目が禍をもたらすといけないから。」とあるようにこの項は迷信のオンパレードである。

夫と妻の交わり 「夫が第二、第三の妻を娶らず日夜自分と交わり、自分の言うことはすぐに聞いてくれ、外出の折には何か買ってきてくれるようならば、妻たるものは夫に不満を抱かぬものである。」

「嫁はことごとに姑の言葉に反対し、また姑は息子相手にいつも嫁の不満をこぼす必要がある。妻はできるだけ小姑の中傷をしなければならない。」

「彼女らの間に口論が起きた時は、双方の悪口を言って彼女らを焚き付け、双方の怒りを最大限に高めなければいけない。もし可能なら、それぞれ相手の女陰を噛み切るくらいに持っていけたら大いに功徳がある。これは女たちの言葉でご馳走と言われる。」

聖、俗、俗悪、邪悪で言えば俗悪辺りに位置するウラマーの教えである。儒教の方が遥かにマシである。ペルシアでは背に腹はかえられぬくらい女性の立場が逼迫して居ると解釈すべきか。

不思議の国は著者が収集した言い伝え、迷信集である。

風呂屋の浴場の四隅の水を集めてニワトリの卵の殻に入れて頭からかければ子宝が授かる。」 「妊婦が頬張ってリンゴを食べたら子供は兎唇になる。」 「子供がよく舌を出すことがあれば、それは母親が妊娠中に蛇を見たからである。」 「誰でも40日間肉を食べないで居ると発狂する。」 「ツバメがやってきて家に巣を作れば吉兆である。」

ヘダーヤトは近代イランの知識人で小説、民俗誌の他浦島太郎の翻訳も発表している。

映画 REX 恐竜物語 (1993)

1993年の配給収入第二位の映画で22億円とある。

十勝の原野に研究所を持ち義母と娘と暮らしている古生物学者の昭良(渡瀬恒彦)は恐竜の化石の研究をしている。縄文時代の遺物にティラノザウルスを模ったものがある事から昭良は恐竜が生き残っていると考える。恐竜の卵の化石が見つかった洞窟に調査に出かけるが娘の千恵(安達祐実)も同行することになる。アイヌの信田という老人が洞窟を案内する。奥に行くとムー文明の遺跡があり、生きている恐竜の卵が安置してあった。卵を持ち出そうとすると洞窟が崩れ出すが何とか持ち帰った。

テレビ局がスポンサーになり卵の孵化を目指すがスポンサーの意向で発生学の学者を米国から招いたという。彼女(大竹しのぶ)は研究のため娘を捨てたという千恵の母である。ウミガメの細胞にティラノザウルスの細胞核を移植して孵化させた。恐竜の赤ちゃんはREXと名付けられ千恵が育てることになる。ビーマン嫌いを克服しつつ千恵はREXを育てて行く。成長したREXはセンセーションを巻き起こしCM出演に引っ張りだこになる。疲労困ぱいしたREXを見かねて昭良はREXを休ませることにする。

東京に新たにできる国立恐竜研究所からスタッフがやって来てREXを引き渡せという。盗み聞きしていた千恵はREXと逃亡する。REXもこの頃は人間の言葉を解する様になっている。クリスマスで賑わう夜の街でREXは人々を驚かすが米米クラブの歌に合わせて千恵と踊るシーンがある。教会の聖歌を聴いた後はレストランで騒ぎを巻き起こす。国立恐竜研究所のスタッフが現れ千恵とREXを連れ去ろうとすると少年少女達が雪つぶてを投げスタッフを撃退する。変装してバスでスキー場へ向かう千恵とREX。スノーバイクに乗った少年が現れ二人を乗せさらに逃亡する。国立恐竜研究所のスタッフがスノーバイクで追跡するシーンは007をまんまパクっている。

用意していた気球船に乗り逃亡に成功した二人は原野に作ったかまくらで一夜を過ごす。そこへ信田さんと両親が現れ母が千恵を抱きしめる。信田さんとムーの神殿へと帰って行ったREXはまだ見ぬ母を探して遺跡の奥へ向かう。

最後に千恵に大きな贈り物がありハッピーエンドのロゴで終了した。

映画 紅の豚 (1992)

1992年配給収入一位で28億である。

レッドバロンのようなカサブランカのような、泥棒成金のようなドラゴンボールZのような、あしたのジョーのような 刑事コジャックのような雰囲気を持つアニメである。なかなかの映画だと思うがお子様向けのシュガーコーティングを随所に感じるので直に心を打つものは無い。美術的にはベックリンの死の島を彷彿とさせるようなホテル、洋画で見たことのあるような瀟洒な別荘が出てくる。音楽的にはシャンソンの名曲、久石譲のクラシック風のアレンジが効いている。

日テレの水曜ロードショー金曜ロードショー)でしばしば放映されているが風の谷のナウシカ程ではない様である。

吉田秀和 名曲のたのしみ 2012年4月7日放送分

今日はラフマニノフのピアノ協奏曲第三番ニ短調作品30これを聴きましょう。これはある意味彼の創造の頂点に立つ音楽ではないでしょうか。ラフマニノフはピアノの稀代の名手であると共に未曾有の発展を遂げた楽器としてのピアノ、これを使った名手としての大きな役割を担っていました。19世紀のショパン、リスト二人の天才の後をつないで行く使命感というものが彼の心の中に潜んでいたんじゃ無いかと僕は思うんですけどね。1906〜7年にかけて彼はシンフォニー第2番を書いた、1909年死の島を書いた。同じ年の夏にこのピアノ協奏曲を書いた。この当時がラフマニノフの創造力の高まりのクライマックスと言ってもいいんじゃ無いかと思うんですよ。ま、これ聴きましょう。マルタ・アルゲリッチのピアノ独奏、ベルリン放送交響楽団リッカルド・シャイーが指揮した演奏で全曲続けて聴きましょう。〜音楽〜

今聴いたのは云々。同じ曲を今度は作曲家ラフマニノフソリストを務めている演奏で聴いてみましょう。アルゲリッチのは気分が乗るとテンポがどんどん速くなってしまうような天衣無縫の演奏でしたけどもラフマニノフの演奏はもっと冷静で控えめな態度が目につきます。終楽章をユージン・オーマンディフィラデルフィアオーケストラが伴奏を務めています。〜音楽〜

今日は云々を聴きました。じゃまた来週さよなら。

前略おふくろ様 II 第16回 (1977)

日曜がやって来た。サブは冬子お嬢さんとの約束を仮病を使ってキャンセルしタヌ子とのデートに備える。すると海ちゃんがやって来て彼氏と会ってくれと言う。

テレビ出演の件でゴタゴタ揉めている。半妻側がギャラを4万要求した事が問題になっている。サブに呼び出しがある。砂時計で三者の話し合いが行われた。結局1万で話はまとまる。

サブはタヌ子とのデートに備えて髭を剃り始める。そこへ利夫が現れて海ちゃんの彼氏の事で泣き言を言い始める。隣に宮川という男が来ていてサブが面会する。建築関係の仕事だと言う。腕相撲の勝負ではサブが二度勝ってしまった。よっぽど悔しいのか宮川はもう一度やろうと言って今度は勝った。無口で風変わりな男である。

そうこうしていると冬子お嬢さんが現れてサブに文句を言い始める。そこへユミも現れてちょっとした修羅場になるがこの後デート喫茶に冬子お嬢さんを連れて行った。チャイコフスキーの音楽が流れる中サブは山形での想い出に浸っている。冬子お嬢さんの話は上の空である。

いよいよ午後7時伊勢丹前でタヌ子と落ち合う。しばらく二人は無言だったがサブが切り出す。タヌ子は高円寺に住んでいて彼氏はいないと言う。もうこれは速攻で攻略するしか無い。バーに誘ってお酒が入ったところでいよいよお泊まりを匂わせる発言をする。デート喫茶に入りさらに攻略するがタヌ子は誤解しないでと言う。タクシーを拾って帰ろうとするとタヌ子が抱きついて来た。

サブがアパートに帰ると邪悪な海ちゃんが又やって来て今日のことをまくし立てた後サブに抱きつき「女の人と会って来た?」と言って帰って行った。サブの女難の日がやっと終わった。

映画 おろしや国酔夢譚 (1992)

1992年の配給収入第二位で18億円である。

天明二年(1782年)12月13日、米一千石を積んだ大黒屋光太夫の船が伊勢を出航、江戸に向かうがその夜暴風雨に襲われ漂流する。お告げで航路を決定するが上手く行かない。漂流103日目乗組員の幾八が死亡。 220日目さらに4名が死亡していた。ある日とうとう陸地が見えた。アリューシャン列島のアムチトカ島である。漂流248日目のことだった。結局6名が死亡し11名が生き延びた。上陸すると原住民が現れる。程なくロシアの兵隊が現れる。

ここがどこなのか相手が何なのかわからない状況の中エトチュア(これは何?)という言葉を用いて乗組員らは物の名を覚えていった。魚と鳥を獲り冬に備える。しかし食料が尽き仕方なく肉を食うことになる。春が来ると鮭が獲り放題なくらいに獲れる。迎えの船でオホーツクまで乗せてもらう約束をロシア人とするがその船は難破してしまう。光太夫は一念発起して二年かけて船を建造、それでオホーツクまでたどり着いた。だがオホーツクの長官はここは管轄外で陸路イルクーツクへ行けという。

イルクーツクへ行くかどうか光太夫は船長として判断に迷ったが遂に行くことになる。トナカイとソリを使い厳冬の中旅を続ける。脱落すれば死である。5ヶ月の苦闘の末イルクーツクに着く。人口1万の都市である。シベリア総督府に行く。あいにく総督は長期不在の状況だったがお金が支給された。日本人の子孫が現れる。イルクーツクには外科医もいて凍傷の足も手術してくれた。光太夫らは漂流民として町で有名になる。

帰国嘆願書は却下されるがその代わり日本語を教える役人になれば給金をくれるという。皆落胆したが若い新蔵はニーナと暮らすことにした。どうやら嘆願書は握りつぶされたらしい。博物学ラクスマンの発案で女帝エカテリーナに直訴する計画を立てる。春になって出発する。庄蔵はキリシタンになる。ここに骨を埋める覚悟らしい。馬車だと結構速く4月にペテルブルクに到着する。女王陛下の側近にまず面会する。却下されたが今度は科学アカデミー総裁に頼もうという。今度は上手くいって夏の離宮で女王陛下に謁見できた。光太夫はロシア語で上手く受け答えしたが求めに応じて浄瑠璃の一節を熱演したところ女王陛下は機嫌を損ねた様だった。だが光太夫が食い下がり帰国の許可を得た。

蝦夷に船が着いた時は帰れたのは二人になっていた。幕府との交渉の末ロシア船は長崎に入れることになり二人も死罪になるところを赦されて江戸で残りの人生を全うする。

原作は井上靖の同名の小説(1968)である。道理でお涙頂戴的な場面が多かった。東洋文庫には蕃談(1849)という長者丸の漂流譚がある。