東洋文庫 日本お伽集 1 (1920)

小説風なので文章を例示する。大変素朴で面白い。

浦島太郎

《二、三日たってから、浦島は舟に乗って海に出かけました。遠い沖へこぎ出して、一心におさかなを釣っていますと、後ろの方で、

「浦島さん、浦島さん。」

と呼ぶこえがします。「おや、誰だろう、こんなところで自分を呼ぶのは。」と、ふりかえって見ますと、一匹の大きな亀が舟のわきへ来て、浦島のかおを見上げています。

「お前さんか、今わたしを呼んだのは。」

「はい、私でございます。このあいだはどうもありがとうございました。おかげであぶない命が助かりました。今日はちょっとおれいにまいりました。」

「そんなことをしなくてもよかったのに。でもうまく助かってよかったね。」

「え、ほんとうにようございました。ときにあなたは竜宮へおいでになったことがありますか。」》

一寸法師

《「おかあさん、まだお願いがあります。どうかおわんとはしを一本下さいな。」 おかあさんは変な顔をして、

「まあ、そんなものを又何にするのかえ。」

と聞きました。「おわんの舟に、はしのかいですよ。」

と、一寸法師はすましています。

「なるほど、お前の舟にはおわんがよかろう。かいにははしがちょうどいいだろう。」 と、お母さんはすぐに新しいおわんと、新しいおはしを出してやりました。

すると、一寸法師は又、

「どうか、この舟を住吉のはままで、持って行って下さい。」

とたのみました。》

この書は、培風館発行「標準お伽文庫」全六巻の復刊で、選者に森林太郎、松村武雄、鈴木三重吉、馬淵冷佑を擁する文学史上重要なものである。

準リファレンス機への昇格(9)

この回路は意外と発振しやすいのだと思う。いろいろ模索してみると定電流ダイオードが高抵抗で置き換えられることがわかった。

ダイオード

抵抗

このような回路になる。

先ほどの東芝の石で動作を確認する。

まあまあの結果が得られている。

フォークナー 八月の光 (4)

リーナがやって来た日に起こった大事件、猟奇殺人事件と放火についての概要はわかったが、犯人についてはまだ明示されてはいない。虚言癖のあるブラウンか、カミソリをいつも所持しているクリスマスなのか。

すると突然にクリスマスの生い立ちが詳述される。物心ついたころのクリスマスは孤児院にいた。大人から受ける仕打ちに虚無で対応するような風変わりな子供である。敬虔な長老派キリスト教信者の農家に貰われて行き成人になった。そこでは生きて行く指針、つまり労働と信仰を叩き込まれている。

体罰で教義問当書を暗唱させようとしているのかこのような喜ばしくない場面がある。

《マッケカンは革帯を握って待っていた。「それを置け」と彼は言った。少年は本を床に置いた。「そこではない」とマッケカンが、声に熱をこめずに、言った。「おまえは、この小屋の床に、家畜どものふんづけた小屋の床に、神様の御言葉の書かれた本を置いてもいいと思っとるんだな。その点も、これから教え直してやる。」彼はみずからその本を拾いあげ、棚に置いた。「ズボンをおろせ」と彼は言った。「それを汚してもつまらん」

それから少年は、両足首のまわりにズボンをまとわせ、短かなワイシャツの下から脚を剥きだしにしたまま立った。ほっそりと、まっすぐに立った。革帯が打ちおろされたとき、彼はたじろがなかったし、顔には何の慄えも走らなかった。まっすぐに前方をみていて、その恍惚とした平静な表情は絵にある僧侶を思わせた。》

意地でも覚えようとしないクリスマスの根性を讃えているのか、勉強に元々不向きなのか、なんだかよくわからないのだが、彼が後々犯罪に手を染めるようになることはわかっている。

準リファレンス機への昇格(8)

歪みの原因は丸一日費やしてもわからなかったので気分転換にK405、J115フォトアンプを調整して聴いてみる。これもA4シリーズの埋もれた一つであるが傑作のような気もする。調整に当たってはLED照明スイッチの配置を一段ずらしたり、スイッチ効きが甘くなっていたので新品と交換したりしている。

差動二段アンプの対称性を損なうカレントミラーが無いアンプである。

DCサーボは不要なので代わりにミューティング回路を入れるといいと思う。

サンスイヤマハのアンプに使われていた東芝MOS FETである。

バイアスの発生を確認する。

両ch調整できた。アイドリング52mA、オフセット2.1mV。

アイドリング62mA、オフセット4.8mV。

±16Vのスイッチング電源で鳴らしている。

準リファレンス機への昇格(7)

SONYMOS FETが復活したので上條式CS回路の基板を新調した。

バイアス電圧の生成を確認する。

終段を接続して動作を確認する。うっかり逆接することがあるが保護回路が作動する。

特性を調べる。

リファレンスシステムで音を確認する。なんか音がおかしい。調査開始しなくては。

フォークナー 八月の光 (3)

バイロン・バンチは30過ぎの男で七年前から製板工場で働いている。そこにある日、バーデン屋敷の火事のあった日、リーナが訪ねてきて会話をした。リーナはすぐにこの男ではないと悟ったが、バイロンはリーナの探している男がクリスマスの相棒のブラウンだとわかってしまっていた。

ゲイル・ハイタワーという町の牧師のエピソードが語られる。一種のスキャンダルである。牧師の妻が不倫の果てに自殺する。また彼の説教は独特で、南北戦争の祖父の戦闘と、聖書の言葉とが入り交じった熱気のあるものだった。聴衆はだんだんと拒否反応を示すようになったのである。ついにハイタワーは教会をクビになり町から出て行くよう言われたが、自宅に美術教授の看板を立てて居座ったのである。

バイロン・バンチはリーナをすぐにはブラウンに会わせようとしなかった。ブラウンが酒の密売人であることは村人の誰もが知っていたし、大事件がその当日起こっていたからである。

ブラウンの登場時における観相学的所見がある。

《さて六ヶ月前のある日、別の見知らぬ男が、クリスマスのしたように、仕事を求め工場に現れた。彼も若くて、背が高く、すでに仕事服を着ていたが、それはもうかなりの間いつも着っぱなしという傷み方であり、それにその男自身もまるでごく身軽に旅をしてきたように見えた。顔は、口の端に小さな白い傷があるが、敏感で女っぽく整っていて、いかにも鏡を始終眺めこんでいる顔つきであり、それに、バイロンは思ったのだが、彼が肩ごしに後ろを見やるときの頭の振り方は、道路で自動車の前に出た騾馬がするのとそっくりだった。》

《この新入りはおが屑山のところでクリスマスとともに働きはじめた。身振りだくさんに誰にでも話しかけ、自分は誰でありどこにいたとか打明け話をしたが、その口調と態度はその人間自体の本質を見せているともいえて、そこには厚かましさと虚偽がこもっていた。だから皆は彼がどこから来たかの話ばかりか彼が言った名前さえ本当だとは信じないのだ、とバイロンは思った。この男の名がブラウンであるはずはないという理由などどこにもなかった。ただ、彼を見ていると、誰もがこう思いたくなるーーこの男は過去に何か馬鹿なことをしでかして名を変えねばならなくなったのだ、そこでこの平凡な名を、今まで誰も思いつかなかったかのように大得意な気持ちで自分にくっつけたのだ、と。》

虚言癖の人物を見抜く目をバイロンという男は持っている。

東洋文庫 朝鮮独立運動の血史 1 (1920)

東学党の乱についての記述がある。

《こうして、わずかな間に、京畿、江原、黄海、慶尚の諸道に蔓延し、その勢は燎原の火のようであった。全州域を攻略した時、「ソウルに兵をすすめ、君側の奸を除こう」と声明した。 朝廷は、おどろきおそれ、清国に救援を要請した。元来わが国の内政に干渉したい意思をもっていた袁世凱は、これをよい機会と考え、清国政府に出兵を要請した。

一方朝鮮問題で清国と対立を重ね憾みをつのらせていた日本は、以前から雌雄の決着をけようと考えていたため、清国に出兵の理由を詰問した。ところが、清国の回答の中に「朝鮮属邦の難を救うため」という文字があった。日本は、この「属邦」という字義に反駁し、ついに出兵し、清国を破った。 日本公使大島圭介は、わが政府を脅し、内政改革と攻守同盟の締結を強要した。乙未五月(1895年)日清両国は撤兵し、馬関条約を締結した。そして、わが国を完全無欠な独立王国として承認すると、世界に声明した。 東学党は、鎌や鋤などの農具を武器とした農民が蜂起して、わが官軍や日本軍ろ交戦九ヶ月以上にもわたり、死者三十余万をかぞえ、古今未曾有の流血の惨事となった。》

閔妃暗殺についての記述がある。

《8月20日(10月8日)早朝、日本兵は発砲し光化門に入った。わが守備兵は、暴徒を阻止し、若干の死傷者を出した。しかし、すでに防御はできなかった。連隊長洪啓薫は、この事態を叱咤したが、戦死した。日本兵はついに殿中に乱入した。日本士官が指揮し、整列して、各門を警備し、刺客たちの行動を幇助した。刺客数十名は、刀を持ち、乾清殿にとびこみ、咆喝した。あるものは、国王の肩ひじをつかんでゆさぶりをかけ、国王の方にピストルを放ち、あるものは、宮女を取り押さえて、国王の前に引きずり出して、打擲した。宮内大臣李耕植は、国王の面前で斬り殺された。また王世子をおさえ、髪を掴み、冠をはらいおとし、刀をつきつけて脅迫しながら、王后の所在を詰問した。このとき、外国人サバチンも護衛のため殿庭にいて、なんどもおどされたが「知らない」と答えて、あやうく命をおとすところであった。刺客は、各部屋をすみずみまであまねく捜索し、ついに王后を刺して弑逆した。 》

三・一運動についての記述。

《その日になると、期せずして集まった学生はすでに千余人に達していた。。その時、九年もの問渺として影もなかった太極旗が、突然ソウルの中央にあらわれ、天空高くへんぼんとひるがえった。ある名もない天道教徒が、身を挺して壇上にのぼり、一枚の紙片をとりだし、独立宣言文を朗読した。まだ朗読が終わらないうち・に「独立万歳」の声が雷霆のようにとどろいた。(略)デモ隊は両派に分かれ、うねるように前進を開始した。一隊は鐘路から普信閣の前を通って、南大門にむかい、一隊は毎日申報館の側をとおって大漢門にむかった。(略)大衆は大声で叫びながら前へ進み、大漢門に到着した。(略)デモ隊は、ここで西小門から引き返し、日本町を通過し、アメリカ領事館にむかった。(夕方六時になってデモ隊は解散した。)》

著者の朴殷植は上海に亡命中にこの本を書き出版した。伝聞、書籍、新聞を元に書かれており、事実の検証が不十分であるとされている。