1881年10月26日アリゾナ州トゥームストーンの牧場主のアイク・クライトンと兄弟たち計四人が町の資本家で保安官のワイアット・アープ兄弟、ドク・ホリデーら計四人と言い争いのあと銃撃戦となりアイク・クライトン側が3名死亡、アープ側が2名負傷を負った事件。この番組は双方の主張を紹介しながら真相に迫ろうという物だ。正当防衛で無くとも果し合いで決着が可能という当時の米国の法律も関係している。アイク・クライトンが莫大な銀を持つ成功者であるだけに因縁を付けられたのかとも思えるが何か事情は複雑だ。両者の言い分は食い違っておりやはり真相は闇の中だ。裁判は茶番だしその後の復讐劇も陰惨だった。決闘自体もそんなに凄いものでも無い。作り上げられた伝説のようなものでこれ自体はありふれた事件ではないだろうか。
禁酒法時代の1929年2月14日アルカポネが計画してモラン一味をシカゴの倉庫で虐殺したという事件。モランは密造酒で利益を得ていたが敵対するアルカポネを殺す計画を立て武装した手下達と倉庫で会合を開こうとしていた。情報をキャッチしたアルカポネ側はモランらが揃ったところを襲い皆殺しにするつもりである。警官に扮装して手入れを装い無抵抗のところをマシンガンで銃撃する作戦だ。ところが判断ミスによりモランが到着する前に倉庫に入ってしまった。モランは床屋で散髪をしており遅れて到着することになる。アルカポネ側はモランがいない事に気づくが銃撃して帰って行った。事件はたちまち知れ渡り警察は総力を挙げて捜査する。だがアルカポネはフロリダで脱税の事情聴取を受けており起訴はされなかった。実行犯も逮捕されず6年後に真相が分かったあともフーバー司法長官が隠蔽したという。だがこの事件によりアルカポネの評判が一気に悪くなりアルカポネが没落してゆくきっかけとなった。