映画 そして私たちは愛に帰る (2008)

  若きインテリが黒海沿岸を車でトラブゾンまで行く。これは後でリフレインする。何かのパレードを横目に老人が街を歩く。ここはドイツだった。飾り窓で娼婦と会話をし部屋に入る。トルコ人の娼婦だった。老人もトルコ移民だ。老人は大学教授の息子と二人暮らし。引退し悠々自適に暮らしている。今日は競馬で大穴を当てた。また娼館に行く。老人はこのトルコ人の娼婦に同棲を持ちかける。娼婦は市内のコミューターで同胞のトルコ人に脅しをかけられた。悔い改めて売春をやめなければリンチに会うぞということだろう。怖くなったのか娼婦は老人の話に乗る。呆れる息子をよそに女を家に連れ込み夕食を共にする。老人は深酔いした。息子は女が娼婦であることを聞く。その夜老人は心臓発作を起こす。やむを得ない。娼婦に家に入ってもらう。息子の名はネジャット、トルコ風だ。トルコ語も流暢に話す。老人は退院したがわがままに振る舞いネジャットも切れるが意に介さない。娼婦と息子の仲を邪推し反抗した娼婦を一撃で殺してしまった。犯罪を犯したトルコ移民は独房に入れられ後に強制退去となる。遺体はトルコに運ばれ親族に埋葬された。ネジャットも参列する。だが娘アイテンの居所がわからない。ネジャットはイスタンブールでアイテンを探す為に活動を開始する。ドイツ語本の書店で店主に会い店を買う交渉をする。
 
    アイテンは政治活動に身を投じており警察に追われる身となった。偽名で出国しドイツに入国し活動家と接触しブレーメンに潜伏する。このアイテンも気が強くたちまち仲間から放り出される。野宿し昼は大学の講義を聴講する。女子学生ロッテから3ユーロ借り昼食を共にする。気のいいロッテは自宅にアイテンを住まわせることになる。母親は皮肉で対するがロッテに正論は通じない。悪い因縁に決まっているのだが若いロッテには理解しがたいかも知れない。二人は夜遊びし同性愛の兆候も出てくる。元反体制の闘士だったロッテの母と短い議論するがアイテンは一端の事はいうようだ。ロッテの協力を得て母親を探し出すアイテン。夜の道路で警察に車を止められ身分証をチェックされる。怯えたアイテンは車から飛び出すが逮捕される。不法入国者として拘留されるが待遇は悪くない。ドイツの当局は政治亡命を却下しアイテンはトルコに送還される。ロッテはイスタンブールに乗り込みドイツ領事館や救援組織に接触するがテロリストとみなされているアイテンを救うのは難しい。トルコに滞在し弁護士を雇いたいというロッテに対し母親は正論で応じるがロッテは自分の所業を省みることはしない。たまたま書店で応対したネジャットから200ユーロの部屋を借りトルコの法律の勉強を開始する。ここでネジャットはアイテンの本名をロッテから聞くけれどアイテンだとは分からない。ロッテは刑務所に面会に行くが話を聞くと女子受刑者はほとんどが夫殺しではいっているのだという。ジョークなのか事実なのか。やっぱりトルコ女性は恐ろしく気が強いのだろう。アイテンはロッテに運び屋のような事をやらせるがアクシデントが起こりロッテが頓死する。足を引っ張ったのがクルド人の子供だった。旅行者からバッグをひったくるためにまとわりついてくる。取り返そうとしたロッテは銃で撃たれる。母親は悔やんでも悔やみきれない思いでイスタンブールにやって来てロッテの下宿を訪ねる。他国の反体制運動に加わった訳でもないがチェ・ゲバラのような死に方は何か象徴的だ。ネジャットの父がトラブゾンに帰り釣りを楽しんでいるという。その事を聞かされたネジャットはムカついて店を閉めて出て行くとロッテの母親がいた。トルコ料理を一緒に食べるが母親の肚は決まっていた。ロッテの遺志を継いでアイテンを救う事だった。この開き直りは凄い。この母親との会話からネジャットは父の事を少し許す気持ちが生まれたらしい。数日店を人に任せ父親のいるトラブゾンに向かう。この時流れている音楽はチェルノブイリの被害で死んだ歌姫の曲だった。アイテンは当局に協力したお蔭で早く出所できた。トラブゾンは茶畑で有名だ。農婦が茶を摘んでいる。ネジャットが声を掛けると父親のアリは釣りに出ていると答えた。浜辺に座り沖を見つめるネジャット。トラブゾンの浜辺は黒海の静かな波が押し寄せる何だか安らぐ場所だ。