3時間13分もあるこのドキュメンタリーは気合が入っており、ブライアン・ウィルソンの軌跡を余すところなく写し出している。インタビュー、回想に登場する人物は "Smile ; The Story of Brian Wilson's Lost Masterpiece"の著者Dominic Priore 、デヴィッド・マークス(現メンバーのギター担当)、Biographer、キャロル・ケイン(レッキング・クルーのベーシスト)、元マネジャーらでとてもよく喋る。
ブライアン・ウィルソンは二人の弟、いとこのマイク・ラブらと音楽活動を開始する。サーファー音楽を考え出したのは彼らである。基本はロックンロールだがフォー・フレッシュメン風のバックコーラスが入る。キャピトルレコードと契約し順調にヒットも飛ばす。サーフィン・サファリ(1962)、サーフィン・U.S.A.(1963)である。このドキュメンタリーは資料映像がふんだんに入っているのでチャックベリーのSweet Little SixteenとサーフィンUSAの類似度がよく分かる。ブライアンがフィルスペクターの技術を学び二枚のアルバム(All Summer Long 1964、The Beach Boys Today! 1965)を作った頃が彼らのスタイルでの頂点かも知れない。
突如としてアメリカでビートルズ旋風が吹き荒れるとイギリス勢がチャートを独占しビーチボーイズはわきに追いやられる。ビートルズの”ラバーソール”の完成度にショックを受けたブライアンはビートルズを超えるアルバムを作ろうと闘志を燃やす。ライブから離れてスタジオにこもりレッキング・クルーと呼ばれるスタジオミュージシャンらと新アルバムの演奏部分を完成させる。日本ツアーから帰ったメンバーとボーカルを入れ完成させた。これが有名な"Pet Sounds(1966)”である。この頃からブライアンとメンバーの間に亀裂が入り始める。
次作アルバム"Smile"はキャピトルが大金を投入し前宣伝まで行いレコーディングが開始された。新たに作詞家も起用されたが抽象的表現の詩句にマイク・ラブが文句を言い始め辟易した作詞家は辞めてしまう。4曲ほど作ったところで制作は行き詰まってくる。ブライアンの奇行が目立ち始めそれでもレッキング・クルーは忠実に仕事をしていたがビートルズがサージェントペパーズを発表すると完全に打ちのめされたのかブライアンはアルバム完成を諦めてしまう。そして急遽メンバーらが中心となって作り上げたアルバムが "Smiley Smile (1967)" である。ヒット曲”Good Vibrations”が収録されていたがアルバム自体は不評だった。翌年にはアルバムFriends (1968)を発表するが完全に時流からかけ離れたものでビーチボーイズは沈没した。
その後ブライアンは自宅に引きこもり、時にソロ活動などを行なっていたが2004年彼が62歳のとき執念が実り遂にアルバム"Smile"を完成させたのである。