東洋文庫 トルキスタン文化史 1 V.V.バルトリド (1927)

本書はソビエト科学アカデミー創立200周年を記念して企画されたロシア領トルキスタンの総合解説書のモノグラフの一つとして書かれたものを大幅に改定してできたものである。第一章 前イスラーム期から一部抜粋する。

われわれの知る中央アジア最古の文化的な民族、すなわちザラフシャン川流域のソグド人とアム川下流域のホラズム人は、イラン種族に属し、彼らの領域は史上初の世界帝国として知られるアケメネス朝ペルシア帝国の版図に入っていた。ダレイオス大王は、その銘文においてソグド人とホラズム人を自分に服属する民族の中に数えている。ペルセポリスの廃墟に近いダレイオスの墓の有名なレリーフには、王座を支えている諸民族の代表の中にソグド人とホラズム人も描かれている。

アレクサンドロスの遠征について記した歴史家たちは、メディア人やペルシア人と比べると、中央アジアのイラン人たちの文化的水準は低かったことを指摘している。バクトリア人やソグド人の習俗は遊牧民のそれとほとんど変わらなかった。ザラフシャン川流域のソグド人の主要な都市はその位置やマラカンダという名称からすると、ほぼ現在のサマルカンドにあたっていた。他の諸都市のうちで最も重要な都市は、すでにシル川流域にあり、その創建はキュロスに帰され、ギリシャ名キュロポリスとして言及されている。

アレクサンドロスについては、マラカンダやその他のいくつかの都市を破壊したものの、少なくとも7つ以上の都市を建設したと言われている。セレウィキアとアンティオキアという一連の都市の建設は、セレウコス一世とその息子アンティオコス一世ソテルに帰されている。ムルガーブ川の岸辺にはすでにアレクサンドロスによって、例のごとくアレクサンドリアと呼ばれる都市が建設されていた。その都市はバルバロイによって破壊されたが、代わりにアンティオコスによってセレウィキアが建設され、この都市は後にアンティオキアと名付けられ、それはおそらく後代のメルヴにあたる。この町を中心とするオアシス地域全体は、長い壁に囲まれており、これは中央アジアにおけるこの型の最初の建築物であった。この時代の痕跡はイスラーム時代の初期にあってもなお見ることができた。(以上引用)

ペルシア帝国、アレクサンドロスグレコバクトリア王の時代は大体このようなもので脅威となる遊牧民はサカ(スキタイ)などであった。前二世紀になると匈奴が一大脅威となり漢を圧迫し月氏バクトリアまで移動させる。後にフンとしてヨーロッパまで攻め入ったとされる。この頃のフェルガナの様子が中国の資料で明らかになっている。(以下引用)

紀元前2世紀、すでにその文化は農耕文化であったから、フェルガナ地方には70もの村落があった。フェルガナ人は金や銀を細工することや、鉄から武器を製造することをもっぱら中国人から学んだ。フェルガナ人は稲や小麦のほかにぶどうや馬肥やしの栽培を行い、ぶどうからはワインを作った。フェルガナには特殊な馬がおり、中国人はその馬を天馬と呼んだ。(以上引用)

イスラーム期はこのように資料がまばらであるがイスラーム期に入ると歴史学者が登場し詳しく記録を残してくれているのである。