フォークナー短編集 (11)

バーベナの匂い」である。今度はすんなりと頭に入ってくる。文章が明晰そのものだからだろう。フォークナーにしては珍しく、人を小バカにしたような表現に出くわした。

《「なにか、わしにできることでもあったら」

「先生、ぼくの下男に新しい元気な馬をつごうしていただきたいんですが。あれは、ぼくといっしょに帰りたがるでしょうから」

「ぜひともわしの馬とーー家内のをつかってくれたまえ」と彼はさけんだ。彼の語調はふだんとすこしもちがわなかったが、それでも叫んだのだ。そして同時に、私たちは二人とも、これはこっけいだ、ということに気がついたようだーーその馬は脚の短い、胴まわりのずんぐりした、栗毛の、まさしく独身の音楽教師といったふうに見える馬で、ウィルキンズ夫人が籃馬車をひかせている馬なのだ。だが、それは私にとってぐあいがよかった。手桶いっぱいの冷水をかぶることが、そのときの私にぐあいがよかったように。》

客観的に見て独身の音楽教師がどうなのか、或いは単に著者の個人的な経験に基づくものであるのか議論が分かれるところだろう。

事件が起こって一報が入るという探偵小説のような始まりなので、非常にわかりやすい。ただ応答と心理がずれまくっているのがこの小説の特徴だ。