フォークナー短編集 (14)

さていよいよベイアードはジェファーソンにある実家にたどり着いた。

《私は馬からおりた。だれかがその馬をよそへひっぱっていった。私は彼女のところに近づいていった。だが、そのときの私の気持ちは、まるで私自身はまだ馬の背にまたがっていて、彼女がつくりだした場面のなかへ登場してゆく一人の俳優をながめているような気持ちだった。うしろには合唱団として、ワイアットたちが、南部人が死神の前でみせるお世辞たっぷりの儀式ばった態度で立っているのだったーーそれはまさに、この燃える太陽の土地、雪から真夏の暑気へとはげしく移りかわり、そのためそのどちらにも無感覚な一種族を生みだしたこの土地に北国の濃霧のなかから生まれたプロスタンティズムが移植されて、かもしだされたローマの休日だった。》

情景描写が主観的なのがフォークナーの特徴である。ベイアードは離人症気味になっている。

実家では集まった人たちの南部人特有の建前と思いやりからなる思惑が渦巻いているのだった。持病持ちのベイアードはそれらを全部受け止めて、息も絶え絶えになっているのだ。これで翌日の決闘ができるのか。