岩波新書 モゴール族探検記 (1956)

京都大学探検隊による1955年の記録である。著者の梅棹忠夫はこう書いている。

《わたしは、キャンプ地をさがすために、村の中を巡視する。まあ、なんというひどいところに住んでいるものだろう。どっちを見ても、赤茶けた岩山ばっかり。これは、世界の果てだ。いくら追いつめられても、これ以上どこにも行きようがない、というようなところに、この人たちは住んでいる。わずかな水をたよりに、かさかさの耕地を、からくもひっかきまわしているだけである。

村の西のはずれに、よいキャンプ地があった。わたしは、一目見て、これは良いと思った。地上はきれいなメドウである。上は、アンズの大木がまばらに生えて、まるで公園のようだ。木かげで、村人たちがのんびりとおしゃべりをしている。水はちょっと遠いが、百メートルほどゆけば谷川がある。わたしはここを「ジルニー公園」とよぶことにした。

「公園」の森の中で、東の縁に近い、一番よい場所を選んで、テントを張った。各人の個人テントを、それぞれ好きな位置に建てて、そのかたわらに大きな共同テントをたてた。共同テントは、食堂兼研究室になる。荷物は、個人装備の箱おのおの一個は、各人の個人テントに運び込み、あとは共同テントの中に収容する。壁面にそうて手ぎわよく積みあげ、まん中に、木箱四個を利用して、食卓兼仕事机をつくった。いすも木箱だ。共同テントの一番奥に、兵士アブドル・ラーマンが宿直する。》

奥地にあるジルニー村に狙いを定めた探検隊は露営を開始した。荷物の運搬に一苦労している。幸いなことに当局の後ろ盾もある。だがすでにモゴール語は使われておらず、長老から断片を聞き出す作業をすることになる。